神力・愛国時代

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稲作について最大の関心は、病虫害に強く然かも多収獲の出来る品種をうることであった。各県の農会や試験場でも種々研究を重ねていたが、明治一六年(一八八三)二月、兵庫県農会の初会合の席で、この要望に答える新品種「神力」が発表された。この品種は、同県楫西郡中島村の精農丸尾重次郎という人が、明治一〇年頃から数年に亘って作り上げた品種で、これこそ「神が農民を助け給うためにくだされた品種であろう」と喜び、名を「神力」と称した(7)とのことである。この品種が発表されると忽ち全国の評判となり、我が郷土にも普及していった。その後、県では、明治末年各郡に設置した原種試験地で、地域的な優良品種の選定を進めてきたが、大正三年(一九一三)はじめて、次の一一品種を県の奨励品種に指定した。即ち、早稲では、信州金子外一品種、中稲では愛国外四品種、晩稲では神力外三品種である。その結果、大正四年(一九一四)徳増区の水稲品種別作付面積や、大正七年長柄村米穀検査の結果を品種別に表した集計表をみると、神力が圧倒的に多く、徳増で全体の六八%、長柄では八〇%にも及んでいる。
 
表1 水稲品種作付状況(徳増 大4.8)
品種名徳増長富小榎本鴇谷
 
撰出

42,208

3,200

1,500
大阪18,207
愛国34,0132,908200
神力264,7001,2001,200
高砂30,715700
小計389,9136,8082,7001,400
通計400,821
備考徳増以外は,徳増区の農家で作付している面積。(長柄町役場所蔵)

 
 
表2 大正7年 稲種別検査成績(長柄村)
品種名検査総数内不合格数
選出180俵154俵
浜早生9075
大坂神力12038
早神力20010
愛国
関取
雄町
中神力
千本
晩神力
〆張
110
80
70
3,200
190
4,400
140
123
25

10
2,188
7
2,045
10
45
8,9034,607
高砂糯
金白糯
50
51
28
25
10153
陸粳吉川 
 〃 久蔵 
 〃 三太郎
60
51
185
40
27
140
296207
陸糯支那355326
合計9,6555,193
備考 長柄村一年間の集計,役場所蔵

 
 その後大正九年には、愛国、中稲神力など六品種が準原種となり昭和二年(一九二七)まで続くが、昭和三年に新たに早稲三、中稲二、晩稲に京都神力のみの六品種が選ばれ、その後殆んど毎年又は隔年に、奨励品種の編入廃止が行なわれた。
 さて、ここで、昭和四年、産米改良事業としての品種転換事業をあげねばならない。これは、本県が、全国屈指の米産県でありながら、反当収量(一〇アール)は全国三四位と低い。その理由は稲の品種が雑多になっているためなので、県下全面積の七割を二か年間で奨励品種に更新しようとするものであった。この結果、県の奨励品種が次第に多く作られるようになり、水稲反収も、明治末期(明治三八―同四二年平均)を一〇〇とすると、昭和五―九年平均が一二〇、同一〇―一四年平均が一三〇と向上している。品種の方も新しいものが次々につくられ、昭和一〇年(一九三五)農林一号、千葉旭、同一二年農林八号、同一五年農林一七号がお目見えして、昭和一一年からは、農林一号同八号、京都神力時代となっていった。しかし、時代は、戦時体制に入り、資材、労力、肥料等の不足により、順調な伸びをみなかったことは致し方のないことだった。