表1 水稲品種作付状況(徳増 大4.8) |
品種名 | 徳増 | 長富 | 小榎本 | 鴇谷 |
撰出 | 反 42,208 | 反 3,200 | 反 1,500 | |
大阪 | 18,207 | |||
愛国 | 34,013 | 2,908 | 200 | |
神力 | 264,700 | 1,200 | 1,200 | |
高砂 | 30,715 | 700 | ||
小計 | 389,913 | 6,808 | 2,700 | 1,400 |
通計 | 400,821 | |||
備考 | 徳増以外は,徳増区の農家で作付している面積。(長柄町役場所蔵) |
表2 大正7年 稲種別検査成績(長柄村) |
品種名 | 検査総数 | 内不合格数 |
選出 | 180俵 | 154俵 |
浜早生 | 90 | 75 |
大坂神力 | 120 | 38 |
早神力 | 200 | 10 |
愛国 関取 雄町 中神力 千本 晩神力 〆張 雑 | 110 80 70 3,200 190 4,400 140 123 | 25 ― 10 2,188 7 2,045 10 45 |
計 | 8,903 | 4,607 |
高砂糯 金白糯 | 50 51 | 28 25 |
計 | 101 | 53 |
陸粳吉川 〃 久蔵 〃 三太郎 | 60 51 185 | 40 27 140 |
計 | 296 | 207 |
陸糯支那 | 355 | 326 |
合計 | 9,655 | 5,193 |
備考 長柄村一年間の集計,役場所蔵 |
その後大正九年には、愛国、中稲神力など六品種が準原種となり昭和二年(一九二七)まで続くが、昭和三年に新たに早稲三、中稲二、晩稲に京都神力のみの六品種が選ばれ、その後殆んど毎年又は隔年に、奨励品種の編入廃止が行なわれた。
さて、ここで、昭和四年、産米改良事業としての品種転換事業をあげねばならない。これは、本県が、全国屈指の米産県でありながら、反当収量(一〇アール)は全国三四位と低い。その理由は稲の品種が雑多になっているためなので、県下全面積の七割を二か年間で奨励品種に更新しようとするものであった。この結果、県の奨励品種が次第に多く作られるようになり、水稲反収も、明治末期(明治三八―同四二年平均)を一〇〇とすると、昭和五―九年平均が一二〇、同一〇―一四年平均が一三〇と向上している。品種の方も新しいものが次々につくられ、昭和一〇年(一九三五)農林一号、千葉旭、同一二年農林八号、同一五年農林一七号がお目見えして、昭和一一年からは、農林一号同八号、京都神力時代となっていった。しかし、時代は、戦時体制に入り、資材、労力、肥料等の不足により、順調な伸びをみなかったことは致し方のないことだった。