昭和戦前―畜力から動力脱穀機時代へ

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昭和戦前は、大正の時代と殆んど変っていない。昭和二五年の農機具普及状況を表3でみると、耕耘機が、長柄村に一台入っているだけで、牛馬耕、特に牛に頼っていたことがわかる。戦前も勿論すべて牛馬の力に頼っていたのである。しかし、石油発動機や、動力脱穀機、籾擢機などは、相当な数にのぼり、脱穀、調製機の普及時代ということができよう。しかし、昭和五年(一九三〇)―七年の米価の低下、八・九年の凶作のため、機械化は一時鈍くなり、その後日華事変、大平洋戦と戦時体制のもとで、機械化は進まなかった。昭和一六年(一九四一)県では動力耕耘機の補助を行っているが、郷土には入っていない。同二八年日吉村の状況をみても、牛馬は約半分に減少しているがまだ一般には、耕耘機の登場はみられなかった。しかし、二九年九月、渡辺泰之(小榎本)さんが耕耘機を購入している。郡内で最も早い。型は、「農場第一号サトウ一尺八寸ロータリー式・クボタエンジン七馬力」のもので、一台二三万円もするもので、珍しいので、多くの人が見物に集ったと云う。
 
表3 農機具普及状況(昭和25 県統計)
村名動力
耕耘機
電動機石油
発動機
農家
戸数
長柄
日吉
水上
385
410
285
63
7
136
1
0
0
60
207
68
261
232
351
620戸
423
425
1,08020613358441,468

 
 
表4 日吉村統計(昭28)
種別数量
電動機
その他原動機
動力脱穀機
 〃 籾摺機
 〃 揚水機
製莚機
製縄機
荷車リヤカー
役用牛
112
49
146
101
11
373
332
280
215
4
(専業農家 283戸)