動力の脱穀機や籾擢機は戦前から利用されていたが、稲刈りは、昭和四〇年(一九六五)頃までは、人力で昔ながらの鎌で刈りとり束ねて稲架に乾す作業がくり返されていた。ところが、ここにも農機具が開発された。一条刈り稲刈鎌、抱き込み式で人力で押しながら稲を刈る簡単なものである。それが動力に代るとその能率も向上した。しかし、これは、倒伏稲には不向きであった。その欠点を解決した稲刈機がバインダーである。この機械は、倒伏稲も難なく刈取り、結束作業もやってくれる。郷土には、四三年から入りはじめ、四八年に四四一台で四割近く五〇年には五五九台と半数の農家に普及した。
「コンバイン」この機械は「歩く脱穀機」である。いわば、バインダーと自動脱穀機をくみ合わせたもので、収穫作業の王様とも云うべきものである。昭和五〇年頃から使用され、五五年には郷土にも一三七台入っている。基盤整備の行なわれた水田の中を縦横に走るコンバインの風景こそ、農業近代化のシンボルであると云えよう。
乾燥機の進歩もめざましいものがある。通風型乾燥機から、循環型乾燥機と進歩し、乾燥時間も大幅に短縮されている。
一方、日吉農協には、ライスセンターが設置され、籾の乾燥、籾すり、調整まですべてを引うけてくれる便利な施設である。(農業協同組合の項参照)