稲作改良と米穀検査制度

207 ~ 208 / 756ページ
後にもふれるが、大正二年(一九一三)米の品質向上と稲作技術の改善を図るため県は、米穀検査制度を設け、各郡に、千葉県米穀検査所の支所を設け、(本郡には茂原におかれた)、米穀検査員を町村に派遣して、指導と検査に当らせた。各町村には、米穀改良組合を設置させ、そこを足場として、趣旨の徹底を図った。郷土の村々でも、早速組合は作ったが、なかなか思うようにゆかなかったようで、大正四年五月、茂原支所、本間康一より、次のようなきびしい通達が出されている。当時の有様をしる上に参考となるので、全文を掲げておく。
 
 「本県産米ノ改良ヲ企図シ、米穀検査制度ヲ設ケラレ、実施後将ニ三年度ニ入ラントス。既往二ケ年ノ実績ニ徴スルニ、其ノ成績稍見ルベキモノナキニ非スト雖、僅ニ旧来ノ三八米劣等的貶称ヲ脱シテ、単ニ茂原米トシテ佐原米を凌駕スルニ至ルニ過キズシテ、横芝米ニ比スルトキハ今尚ホ両五勺ノ安価ニテ取引サルルモノ有ルハ、深ク遺憾トスル処、要スルニ当業者ノ因襲的稲作法ヲ墨守シ、改良ニ依ラザルモノカ或ハ収穫後ノ取扱不完備ナルナリ、単ニ検査ノ通過ヲ以テ足レリトシ不合格ノ産出ヲ意トセザルカ、或ハ受検ノ準備ヲ怠リ、検査ノ渋滞ヲ生ジ、延テ販路ノ好期ヲ逸スルニ至ルモノ等アリテ、タダニ官憲ノ命ナレバ止ムナク之ヲ行フモ、自治的観念ヲ以テ進ミ、米ノ根本的改良ヲ遂行セントスル理想ト、之ガ施設方法ヲ講ジタルモノナキニ基因セシモノナリト云ウモ敢テ過言ナラザルガ如シ、方今欧州ノ戦乱ガ吾人ニ与ヘタル教訓ニモ強国ノ要素ハ戦備ノ完成ト産業ノ独立トニアリトス。近ク国産奨励ノ声、朝野ニ喧シク、畏多クモ皇室ニオカセラレテモ、数万ノ御内帑金ヲ下シ賜ヒ優渥ナル御聖旨ノ在ラセラルヽ処ヲ拝察スルヲ得ン、次デ産業ノ中心タル米産者ノ経済調和ヲ図リ米価調節方法ヲ講セラレントスルアリ、又全国米穀大会ハ、満場一致穀物局ヲ設ケ、制度ノ改善ヲ促シツツアリ、国内挙ケテ米穀改良ヲ主唱スルノ秋ニ当リ、其ノ関係最モ深キ生産家ノ態度依然トシテ改良的用意ヲ敢テセザルモノアルハ誠ニ深ク憂慮スベキコトニ非ズヤ、
 時正ニ〓古ノ盛典タル、今上大帝御即位ノ大典ヲ行ナハセラレ国家的記念ヲ貽スノ時ニ当リ、米穀問題モ亦同家的改良ノ新気運ニ向ハントス、所謂千載一遇ノ好期ニ際シタルハ吾人ノ慶賀措ク能ハザル所ナルト共ニ、将ニ周到ナル用意ヲ以テ此機ニ伴ヒ活躍セザル可ラザルニ非スヤ、茲ニ鑑ミル処アリ、各位ト相謀リ、御大典記念事業トシテ農村ニ於ケル米産部落ヲ一団トシテ、別紙準則ニヨリ、米穀改良組合ヲ組織シ、隣保相互ノ自動的米穀ノ改良ヲ計リ、組合員ノ利益ヲ増進シ、県ノ農政事項ヲ励行シ進ンデ邦家ノ進運ニ貢献セラレンコトヲ望ム。幸ニ之レガ目的ヲ賛助シ普ク組合ノ設置ヲ完成シ事業ノ統一ヲ期成セラレンコトヲ切望ス」
 
 これによって、米穀検査員がたえず農民と交流を図り、各方面の改善に指導助言することになった。