米の過剰と減反への努力

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明治以来百余年、農民は一粒でも余計に米をとりたいと増産に励んだ甲斐あって、同じ面積の田んぼから、三倍半も多くとれるようになった。喜んだのも束の間、今度は、米が余り過ぎたので、作付面積を減少せよというのである。
 昭和四三年(一九六八)、西村農相は、「総合農政の展開について」政府見解を発表、米の生産が上りすぎ、消費高は年々減少してきて、米がだぶついて困るので、米の生産をおさえ、稲の作付を転換するか休耕する方策をうち出したのである。米がとれすぎて困るなどということは、今まで夢にも考えられなかったことである。さて、ここに至る戦後日本の食糧事情はどうであっただろうか。
 戦後日本の食糧区分は、次の三つに分けられるという。
   不足輸入時代  昭和二〇―四一年まで
   農作過剰時代  昭和四二―四四年まで
   生産調整時代  昭和四五―現在五五年まで