豊作過剰時代

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さて次の過剰の時代だが農林水産省統計で水陸稲合計収穫量が、四二年一四四五万三千トン。四三年一四四四万九千トン。四四年、一四〇〇万三千トン。郷土でも勿論豊作で、四二年、三九一三トン四三年三六一三トン、四四年三五四〇トンで一〇アール当り平均四五六キロとなっている。(2)
 三年連続豊作の原因は、前述したように、米作り技術の格段の進歩、肥料、農薬、農機具、土地基盤整備、そして気象条件に恵まれたことがあげられる。
 だが、問題が起った。毎年、米の生産が消費を二百万トンも上回ったからである。一か月の消費を大ざっぱに百万トンとみて、およそ六か月分の日本の食糧が余った勘定になる。そこで、問題は、第一に、これをどうするか。第二にこれからどうするかであるが、その対策の一端が、西村農相の発言である。
 さて、ここで「米が余る」ということについて考えてみたい。余ったのは、需要を上回る豊作もさることながら、実は日本人の米離れ(3)を見逃すわけには行かない。なぜ米を食べなくなったか。やれ学校給食が食生活を変えたとか、労働をしなくなったとか答はさまざまだが、とにかく、数字(表4)に表われている。
 
表4 米の消費量
年度全国平均消費地だけの平均
昭26
 30
 35
 40
 45
 50
 53
99.4キロ
110.7  
114.9  
111.7  
95.1  
88.1  
83.4  
79.0キロ
90.0  
95.3  
79.6  
63.1  
51.2  
46.5  
全国平均は農水省統計
農家,単身者を除いたものは総理府統計局

 
 米の消費量は「一人年一石(一五〇キロ)が基準」と言われていたが、農民などは三〇〇キロ前後消費していたと思われる。これが戦後になるとがらりと変った。昭和三七年(一九六二)が「一一八・三キロ」で最高、以後減少の一途をたどる。昭和五三年をみると、消費地では「四六・五キロ」で、戦前の約三割にすぎなくなった。