生産調整時代

220 ~ 223 / 756ページ
こうして、生産は上がる、消費は下がるとなると、うつ手は、消費拡大のキャンペーンをするか、生産をコントロールするしかない。農林水産省は、生産コントロール即ち、減反政策にふみ切ったのである。第一次生産調整がそれである。「農民よ、米作るな運動」は、昭和四五年(一九七〇)から七か年計画でスタートすることになった。
 初年度の目標は百万トンだが、実施の内容は、次の通り。
 (ア) 百万トンは、作付けの転換、休耕田などによる減産とし、減産の補償として、一〇アール当り三万五千円の補償金を交付する。
 (イ) ほかに、五〇万トン分の水田を、公用地、宅地、工業用地に転用する。
 (ウ) 初年度予算は一〇三四億円とする。

 こうして、郷土の農民は、増産への努力を減産への努力に切替えねばならなくなった。
 表5は長柄町、生産調整の実施状況を示したものである。水田面積の減少は、四八年までは、急速に進んでいる。そして五三年度から二次の調整に入っているが、国が五二年度末までに生産調整に投じた額は、一兆四千億円にも上るという。今後、我国の米づくりは、一体どんな方向に進むのであろうか。
 休耕田の荒廃は、目に余るものがあるが、日本の農業の象徴にならぬことを祈るだけである。
 
表5 長柄町水田減反面積の推移(長柄町役場)
年度合計長柄日吉水上
昭45
 46
 47
 48
 49
 50
 51
 52
 53
 54
 55
7,135a
14,051 
11,400 
11,822 
2,887 
2,759 
472 
312 
9,372 
9,065 
13,670 
2,923a
6,330 
4,963 
4,761 
1,025 
1,000 
224 
155 
2,656 
2,418 
4,187 
2,384a
3,974 
3,364 
3,686 
1,341 
1,259 
163 
98 
4,062 
3,850 
5,843 
1,828a
3,747 
3,073 
3,375 
521 
500 
85 
59 
2,654 
2,797 
3,640 
備考昭55年水田耕地面積は,598ha(長柄180 日吉240 水上178)となっている

 
   註
1 「田んぼの中の牛舎、百々信夫」朝日新聞所載。
2 昭和四二―四四年、長柄町水稲収穫量の表

 
水稲収穫量(S51~S54)
(千葉県農林水産統計年報)
地区作付面積収量10a当り収量



長柄
日吉
水上
238ha
317  
234  
1,090t
1,452 
1,071 
458kg
 
 
合計897  3,613  
陸稲37  54 147  



長柄
日吉
水上
238ha
317  
234  
1,090t
1,452 
1,071 
458kg
 
 
合計789  3,613  
陸稲14  26 185  



長柄
日吉
水上
236ha
314  
231  
1,070t
1,423 
1,047 
453kg
 
 
合計781  3,540  
陸稲11  18 168  

 
3 日本人の米の消費量の変遷
 
(1人当たり年間消費量kg)
年次消費量
  kg
指数
  %
明治33年125100
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
大正元年
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
130
143
128
159
168
124
147
153
152
151
141
151
148
141
160
153
158
160
157
154
163
152
160
157
159
104
114
102
127
134
99
118
122
122
121
113
121
118
113
128
122
126
128
127
123
130
122
128
127
127
年次消費量
  kg
指数
  %
昭和元年
2
3
4
5
9
19
20
21
22
23
24
25
160
155
160
155
153
170
148
122
83
118
112
121
120
128
124
128
124
122
136
118
98
66
94
90
97
96
30111100
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
112
116
113
114
115
117
118
117
116
112
106
101
104
102
103
104
104
106
105
104
101
95
(注)1.明33~昭5年は
八木芳之助,米価乃米価統制問題より算出
  2.昭30~41年,農林省「食糧需給表」による
  3.昭9~25年「食糧管理統計年報」1955年による