初年度の目標は百万トンだが、実施の内容は、次の通り。
(ア) 百万トンは、作付けの転換、休耕田などによる減産とし、減産の補償として、一〇アール当り三万五千円の補償金を交付する。
(イ) ほかに、五〇万トン分の水田を、公用地、宅地、工業用地に転用する。
(ウ) 初年度予算は一〇三四億円とする。
(イ) ほかに、五〇万トン分の水田を、公用地、宅地、工業用地に転用する。
(ウ) 初年度予算は一〇三四億円とする。
こうして、郷土の農民は、増産への努力を減産への努力に切替えねばならなくなった。
表5は長柄町、生産調整の実施状況を示したものである。水田面積の減少は、四八年までは、急速に進んでいる。そして五三年度から二次の調整に入っているが、国が五二年度末までに生産調整に投じた額は、一兆四千億円にも上るという。今後、我国の米づくりは、一体どんな方向に進むのであろうか。
休耕田の荒廃は、目に余るものがあるが、日本の農業の象徴にならぬことを祈るだけである。
表5 長柄町水田減反面積の推移(長柄町役場) |
年度 | 合計 | 長柄 | 日吉 | 水上 |
昭45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 | 7,135a 14,051 11,400 11,822 2,887 2,759 472 312 9,372 9,065 13,670 | 2,923a 6,330 4,963 4,761 1,025 1,000 224 155 2,656 2,418 4,187 | 2,384a 3,974 3,364 3,686 1,341 1,259 163 98 4,062 3,850 5,843 | 1,828a 3,747 3,073 3,375 521 500 85 59 2,654 2,797 3,640 |
備考 | 昭55年水田耕地面積は,598ha(長柄180 日吉240 水上178)となっている |
註
1 「田んぼの中の牛舎、百々信夫」朝日新聞所載。
2 昭和四二―四四年、長柄町水稲収穫量の表
1 「田んぼの中の牛舎、百々信夫」朝日新聞所載。
2 昭和四二―四四年、長柄町水稲収穫量の表
水稲収穫量(S51~S54) |
(千葉県農林水産統計年報) |
年 | 地区 | 作付面積 | 収量 | 10a当り収量 |
昭 四 二 年 | 長柄 日吉 水上 | 238ha 317 234 | 1,090t 1,452 1,071 | 458kg |
合計 | 897 | 3,613 | ||
陸稲 | 37 | 54 | 147 | |
昭 四 三 年 | 長柄 日吉 水上 | 238ha 317 234 | 1,090t 1,452 1,071 | 458kg |
合計 | 789 | 3,613 | ||
陸稲 | 14 | 26 | 185 | |
昭 四 四 年 | 長柄 日吉 水上 | 236ha 314 231 | 1,070t 1,423 1,047 | 453kg |
合計 | 781 | 3,540 | ||
陸稲 | 11 | 18 | 168 |
3 日本人の米の消費量の変遷
(1人当たり年間消費量kg) |
年次 | 消費量 kg | 指数 % |
明治33年 | 125 | 100 |
34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 大正元年 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 | 130 143 128 159 168 124 147 153 152 151 141 151 148 141 160 153 158 160 157 154 163 152 160 157 159 | 104 114 102 127 134 99 118 122 122 121 113 121 118 113 128 122 126 128 127 123 130 122 128 127 127 |
年次 | 消費量 kg | 指数 % |
昭和元年 2 3 4 5 9 19 20 21 22 23 24 25 | 160 155 160 155 153 170 148 122 83 118 112 121 120 | 128 124 128 124 122 136 118 98 66 94 90 97 96 |
30 | 111 | 100 |
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 | 112 116 113 114 115 117 118 117 116 112 106 | 101 104 102 103 104 104 106 105 104 101 95 |
(注)1. | 明33~昭5年は 八木芳之助,米価乃米価統制問題より算出 |
2. | 昭30~41年,農林省「食糧需給表」による |
3. | 昭9~25年「食糧管理統計年報」1955年による |