第一次農地改革

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昭和二〇年(一九四五)七月二六日のポツダム宣言は、日本の地主制度切り崩しを指令した。太平洋戦争に敗れた日本は、無条件降伏のうちに、この宣言を受諾しないわけにはいかなかった。その内容は昭和二〇年一一月、占領軍総司令官から日本政府に手渡された「農地改革に関する覚書」に詳しく記されていた。
 政府は、この指令に基づいて、次の三項目を重点とした農地改革案を作成、昭和二〇年一二月二八日国会を通過させた。これが、第一次農地改革案といわれるものであるが、戦前既に日本でも計画されていた案のやき直しに近いものであった。
 1 自作農創設のため、一定面積以上の所有土地を五か年間に小作人の希望により開放する
 2 物納小作料を金納にする。換算基準は、米一石七五円麦一石二四円三〇銭とする
 3 農地委員を選挙制にし権限をもたせる。

 元来、日本の地主制は、明治初年の地租改正以来存続し、昭和に入ってもなお、地主と小作人との間には、封建的な主従関係が残っていて、日本の民主化を妨げていた。そこでこの制度を根本から変えようとしたわけであるが、この案は小作人からの不満の声が強く、司令部の承認も得られなかったので、結局実施にうつされなかったのである。