第二次農地改革

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連合国司令部は、日本政府に対し、一層きびしい徹底した農地改革を実施するよう指令してきた。そこで政府は、それに従った立法措置をとり、昭和二一年一〇月一一日、自作農特別措置法案と農地調整法改正法案を成立させ、これに従って改革の実施が進行したのである。これが第二次の改革であるが、農地改革といえば、一般にこの第二次改革以後をさすのである。そこで、この案の骨子を示してみよう。
 その内容を一言でいえば、自作農創設と小作関係の調整という二つで、その推進機関である農地委員会も改組するということである。
 まず、自作農創設の点から述べると、自作農創設特別措置法の目的にある、「この法律は、耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正にうけさせるために、自作農を急速且つ広汎に創設し、また土地の農業上の利用を増進し、以て農業生産力の発展と農村に於ける民主的傾向促進を図ることを目的とする(第一条)」という趣旨に基づいて、具体的には、次のような基準で行なわれた。
 
 1 不在地主は、農地の所有を認めない。
 2 在村地主は、北海道で四町歩、都郎府県で平均一町歩だけ小作地をもてる。
 3 地主は、自作、小作を合して、北海道で一二町歩、内地で三町歩をこえると、超過分は政府が買収する。
 4 小作地は、世帯単位できめる。
 5 農地買収価格は、田は賃貸価格の四〇倍畑は四八倍とする。
 6 農地買収の支払は、政府が地主に対し、年三分六厘五毛、二四年償還の農地証券によって行う。
 7 政府は買収農地を原則として、現在の小作人に売渡す
 8 農地の売買計画は、市町村農地委員会が立てる。
 9 農地委員会の組織は、地主側三、自作側二、小作側五計一〇人で構成する。委員は、耕作者の選挙による。
 10 農地改革は、二か年以内に行う、この間、小作料は、反七五円の金納とする。

 
 これをみると、国が地主から強制的に土地を買収し、小作人に売渡すという直接創定方式が採用されている。また、買収価格は、全国平均でみると、反平均水田七六〇円、畑四五〇円で、その当時としては一応根拠のあるものであったが、その後インフレーションがはげしく昂進し、諸物価が著しく高騰したのに地価は、農地改革終了まで据置かれたから、莚一枚と田一反歩が同じ値段だという声は必ずしも誇張とは云えなくなってしまった。
 こういうわけで、農地改革は、小作地の大部分を、殆んど無償に近い低価格で、いっきょに地主から取上げ、これを自作地化するという平時ではとうてい考えられないような政策をなしとげたのである。
 次に小作関係の調整では、小作料率を、水田で二五%、畑で一五%を超えないこと、小作契約を文書化し農地委員会への届出制を規定した程度である。云う迄もなく、農地調整法第一条、「本法は耕作者の地位と安全及び農業生産の維持増進を図るため、農地関係等の調整をなすを目的とする」という法律に基づいている。
 最後に、農地委員会の構成をみると、小作委員の比重がずっと大きくなり、小作側に有利な形で運営が行なわれる道が開かれたことが注目される。次に、本町(旧長柄日吉水上)の農地改革がどのように進められたかを記す。