先づ、日吉村の場合についてみると、
1 経営規模別戸数の変化では、三町歩以上の農家が三四戸もあったが、これはすべて買収対象となり、二―三町歩のものが二五戸から僅かに六戸と減少した。そして、一―二町未満が七九戸から二一七戸、五反―一町が五四戸から一三二戸と増加し、五反―三町までの戸数を合せると実に全戸数の七八%に当っている。尚三反未満で農地なしを合せると一九〇戸もあったものが、五六戸に減少している。(表5参照)
(表5) |
経営規模別戸数 | ||
日吉村 | 農地改革前との比較 | |
年度 | 昭27 | 昭20 |
総数 | 453戸 | 437戸 |
農地なし 1反未満 1~3 | ― 25 31 | 88 102 |
3~5 5反~1町 | 42 132 | 57 54 |
1~1.5 1.5~2.0 | 156 61 | 79 |
2.0~3.0 3.0~4.0 4.0以上 | 6 ― ― | 25 14 20 |
2 次に自作小作の変化を、「終戦時と現在(昭和二五年)の自小作別農家数の関係」表6から調べてみると、表7のようにまとめられる。即ち、小作農は、約三割から約一割に減少し自作農が三割をこえるようになった。そして、自作と自作兼小作農を合した数は、八割をこえている。保有限度以上の貸付地をもつ農家は、戦前五六戸に上ったが、すべて解放されて、保有限度の貸付を有する農家が二七戸となった。
(表6) | 終戦時と農地開放後の自小作別農家数の関係 |
昭和25年末 日吉村 | 現在の自小作別 | |||||||
保有限度 貸付地所 有農家 | 自作農 | 自作兼 小作農 | 小作兼 自作農 | 小作農 | 土地を耕作 しない農家 (搾乳など) | 計 | ||
終 戦 時 の 自 小 作 別 | 保有限度以上の貸付地所有農家 | 29 | 56 | |||||
自作農 | 60 | 12 | 72 | |||||
自作兼小作農 | 28 | 30 | 58 | |||||
小作兼自作農 | 9 | 93 | 2 | 104 | ||||
小作農 | 7 | 85 | 24 | 15 | 131 | |||
土地を耕作しない農家(搾乳など) | ||||||||
終戦時農家でなかったもの | 21 | 21 | ||||||
計 | 27 | 137 | 222 | 26 | 36 | 448 |
(表7) |
戦前 | 現在(昭25) | |||
戸数 | 割合 | 戸数 | 割合 | |
小作農 自作農 小作+小作兼自作 自作+自作兼小作 | 131 72 235 130 | 29.2% 16.1 52.4 29.0 | 36 137 62 359 | 8.0% 30.5 13.8 80.1 |
このように、三町以上の農家は全くなくなり、土地をもって農業を営むものの数は圧倒的に増加し、農地は殆んど平均化したのである。
3 次に、長柄と水上の場合を表8から眺めてみよう。経営規模をみると、一町以上三町までの農家が、長柄で二九二戸で全戸数の四三・六%、水上は二二七戸で五三・六%と少し多く、五反以上になると、長柄七八・九%、水上八四・四%である。そして三反以下の割合は長柄一〇・八%、水上〇・八%で、全体的に水上の方がややよくなっている。しかし傾向としては、日吉・水上・長柄とほぼ類似している。また表9は、昭和二五年三月一日、農業センサスの結果の統計表であるが、自作率では、長柄・水上・日吉の順、自作兼小作率では、日吉・水上・長柄となっているが、両者を合わせると、三村ともほぼ同率で、九割になっている。小作は極めて僅かであるが、日吉が最も少く、長柄が一番多い。
(表8)農家経営規模別戸数(昭27) |
長柄 | 水上 | |
総数 | 640戸 | 423戸 |
農地なし | ||
1反未満 | 9 | 1 |
1~3〃 | 60 | 34 |
3~5〃 | 66 | 31 |
5~1町 | 213 | 130 |
1~1.5 | 215 | 179 |
1.5~2.0 | 65 | 46 |
2.0~3.0 | 12 | 2 |
(表9)農地改革後の自作と小作状況(昭25.2.1 農業センサス) |
総 数 | 自 作 | 自作兼 小作兼 | 小作兼 自作 | 小 作 | その他 | |
長柄 日吉 水上 | 620戸 423 425 | 303戸 169 198 | 246戸 214 203 | 42戸 34 17 | 29戸 6 7 | ― ― ― |
計 | 1,468 | 670 | 663 | 93 | 42 | ― |
長柄 日吉 水上 | 100.0% 100.0 100.0 | 48.9% 39.9 46.6 | 39.6% 50.6 47.7 | 6.7% 8.0 4.0 | 4.8% 1.5 1.7 | ― ― ― |
平均 | 100.0 | 45.6 | 45.1 | 6.3 | 3.0 | ― |
(%は総戸数に対する割合) |
開放前は、長柄と水上が、大地主と零細農に分かれていた地域であったが、農地改革によって、大地主はなくなり、前述のように、殆んど経営規模も平均化した自作農又は自作兼小作農になったと言うことができよう。
昭和三〇年度の千葉県統計年鑑によると、農地改革のまとめを表10のように示している。この表は、昭和二六年末のものと相当変化しているが、このように開放した農地を大多数の農家に売渡したことによって前述のような状況が誕生したわけである。
(表10)農地改革の状況(昭30.2.1)(千葉県統計年鑑) |
村 | 内容 | 農家数 | 田 | 畑 | 採草地 など | 宅地 | 計 |
長柄 | 開放した 買うけた | 73戸 452戸 | 79町9反 124 .6 | 91町3 141 .1 | 0町6 3 .9 | 1町1 3 .6 | 173町0反 273 .3 |
水上 | 開放 買うけた | 120 331 | 111 .9 124 .5 | 31 .6 52 .9 | 0 .4 0 .9 | 0 .5 0 .9 | 144 .4 179 .3 |
日吉 | 開放 買うけた | 90 296 | 93 .7 116 .8 | 25 .1 28 .5 | 0 0 | 0 0 .3 | 118 .9 145 .6 |
(開放面積,買うけ面積に差のあるのは,他町村所有者からの買うけが含まれるため) |
このようにして、三村では、従来からの地主制がほぼ完全に消滅したといえるのであるが、その結果、農村社会や農家経済にどんな影響が及んだであろうか。