稲作三要項の実施と害虫駆除予防

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農商務省は、明治三七年、日露開戦必至とみて、全国の府県農会に対し「農産ノ改良増進ニ関スル諭達」(4)を発し、次の一四項目の農事改良必行事項を指示した。
 ① 米麦種子ノ塩水撰。② 麦黒穂ノ予防。③ 短冊型共同苗代。④ 通シ苗代ノ廃止。⑤ 稲苗ノ正条植。⑥ 重要作物、果樹、蚕種等ノ繁殖。⑦ 良種牧草ノ栽培。⑧ 夏秋蚕用桑園ノ特設。⑨ 堆肥ノ改良。⑩ 良種農具ノ普及。⑪ 牛馬耕ノ実施。⑫ 家畜ノ飼育。⑬ 耕地整理ノ施行。⑭ 産業組合ノ設立。
 この一四項目は、一面では、明治農学の成果に基づく最初の体系的な農事改良政策といえるが、これを日露戦遂行という国家的軍事的目的遂行のために強制したことに問題がないとはいえない。ともあれ、この方針は、県→郡農会を通じ末端機関である各町村農会に通達され、特に①―⑤の項目については、必行事項として強くその実行を迫ったのである。
 その状況をみると、先ず千葉県では、明治三七年(一九〇四)三月一八日、県令第二三号で、稲苗代取締規則を定めた。
 
 第一条 稲苗代の苗床は幅四尺以内長さ適宜各床の間距八寸以上と為すべし。
 第二条 稲苗代には一枚毎に其面積及作人住所氏名を記載したる標札を設くべし。
 第三条 稲苗代作人第一条に違反したる時は科料に処す。

 
 この短冊苗代が、従来行なわていた「通し苗代」よりも生産力的に優れていることは明かである。「通し苗代」というのは、特に低湿な田を選んで苗代をつくり、一面に籾をまき苗の抜取後は、その田に稲を植付けないでそのまま放置し、夏季に多量の青草や木葉を入れて腐敗させ、翌年の春まで肥沃にしておいて再び苗代に使用するという方法である。従ってこの苗代でできる苗は、肥料が少くてすむが、往々にして健全な苗が育たず、米質収量も劣り、しかも雑草や害虫の発生源にもなった。にも係らずこのやり方がなかなか廃止されなかったのは、この方法が肥料と労力を省くことができ、より根本的には、生産量の増加や品質の向上の成果が、小作料として地主のものになっても、直接生産者農民のものにはならないという考え方に基づいていた。
 さて、長生郡農会では、それ以前から苗代改良には力を入れ、三五年鶴枝、西、長柄、水上、二宮五村を苗代改良模範地区に指定し、また監督員を巡視させ実施状況を視察している。その結果問題があれば、直ちに郡長から村長に通知された。その一例が次の通知文である。
 
  庶発第二五五号
 過般来稲正条植ノ検分ヲ兼ネ害虫駆除ノ監督トシテ監督員ヲ派遣シ周ク巡視セシメ候処、左記ノ箇所ハ螟虫ノ幼虫ノ稲ノ葉元又ハ茎ニ蝕入シ被害ノ蔓延スル状況ノ旨復命ニ接シ候条、当該作人ヲ指揮監督シ厳重ニ駆除ヲ行フベシ、若シ作人ニシテ命令ニ遵ハザルモノ有之候ハバ相当ノ手続ヲ為スベシ。
   明治三七年七月五日 長生郡長浅沼介郎印
    長柄村長 柴崎民五郎 殿
   力丸
   右達越ニ相成候条、精々駆除予防候様該作人ヲ指揮監督シ遺策ナキ様配慮相成度候也 明治三十七年七月七日
        長柄村役場
     力丸区長
          宮沢五平治 殿
          外奨励員御中

 
 この害虫駆除予防については、厳しい罰則が、既に明治二九年(一八九六)の千葉県令第三八号で発せられていたので「相当ノ手続ヲナスベシ」とあるのは、そのことをさしていたわけである。このように害虫駆除予防については、通牒文も一番多く、これでもかこれでもかと注意を促している。いうまでもなく虫害は集団的な害であるから、一地域農民全部が一斉に実施するのでなければ効果が上らない。例え一戸の農家が手をぬいてもそれは全体に波及する。その意味では、害虫駆除予防は本来的に最も公共性を帯びている。つまりこの公共性の故に行政的規制や取締りの対象になったのである。
 さて、明治三九年三月九日に改正された害虫駆除予防法施行規則(訓令第二四号)の罰則をみると、「第十二条、本令第一条又は第二条の届出を怠り若は本令第四条第八条の命令に従はざる者は五銭以上壱円九五銭以下の科料又は一日以上十日以内の拘留に処す」とある。第一条、第二条は害虫発生やそのおそれあることの報告のこと、第四条は作人が駆除予防を行わない時、第八条は、虫害苗移植の停止に関することである。
 この法改正の年、郡農会では、「長生郡米麦作改良害虫駆除予防監督員規程」をつくり、監督員を任命して、常に郡内稲作状況を巡視させている。監督員の職務内容は次のようなものであった。
 
   (明三九、長柄村役場文書)
   農発第六五号 明治三九年四月十一日
   長生郡米麦作改良害虫駆除予防監督員執務規程ヲ左ノ如ク定ム
       長生郡農会長 浅沼介郎印
  第一条 本規程ニ依ル監督員ハ郡農会長ノ指揮ヲ受ケ郡内其受持区域内米麦作ノ改良及害虫駆除予防ニ関スル事務ニ従事スル
  第二条 監督員ハ概ネ左ノ事項ノ指導監督ヲナスモノトス
   米麦種子ノ塩水撰。短冊形共同苗代。稲苗正条植。麦黒穂予防。病虫害駆除予防。其他随時必要ト認ムル事項
  第三条 監督員ハ町村長及農会ト協力シ、警察官ト気脈ヲ通ジ以テ前条ノ事項ヲ遂行スルニ努ムベシ。
  第四条 監督員ハ監督上応援ヲ乞フノ必要ヲ認メタルトキハ其旨郡農会長若シクハ郡長ニ急報スベシ
  第五条 監督員ハ予メ巡視受持区域ノ町村役場毎ニ日誌ヲ備置キ巡視ノ都度記名捺印シ該町村内ノ指導督励ニ関シ特ニ注意ヲ要スル事項ヲ記載シ町村長ノ認印ヲ求メテオクヲ要ス
  第六条 監督員ハ疾病其他ノ事故ノタメ執務ヲ欠ノコトアルトキハ其旨郡農会長ニ届出ヅベシ          (以上)

   予防員受持及氏名左ノ如シ
 
氏名受持町村
牧野経太郎大東、東浪見、八積、土睦、新治
高仲三省長柄、水上、西、鶴枝、白潟
鵜沢豊次郎一宮、一松、高根、関、日吉
古川誠寿南白亀、豊岡、帆丘、豊田、庁南
磯部磯吉東郷、茂原、二宮、東、豊栄、五郷

 
 このようにして、病虫害の駆除には力を入れたものの、その方法に至っては殆んど改良されることもなく、あくまでも人海戦術で、果ては、小学生まで動員するという有様であった。この頃多少科学的なものといえば、誘蛾灯の設置とか除虫菊薬剤撒布程度であった。
 その他、農作物に被害を与えるものに鳥や獣などがあった。その一例をあげると明治四四年八月二七日に長柄村農会から知事宛に、鳥獣捕獲のため狩猟願が提出され許可になっているが、それをみると、
 
 1 鳥獣の種類及数。雀約五万。烏二千兎約八〇。
 2 被害状況 面積三八五町歩、被害高、穀物約二九八円(二一石)
 3 捕獲方法 天網、猟銃(散弾銃)
 4 期間 九月一五日より一二月一五日まで
 5 区域 長柄村地域一円
 
 この成果については、一二月二五日の報告書によると、兎五〇頭、雀二千五百、烏三〇となっている。自然相手の農民の苦労が想像されよう。