近代養蚕業への発展

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長柄町合併当初は、飯高憲治を組合長とする長柄町養蚕組合が結成され、町から、年二万円の補助金を出していた。その頃の養蚕技術は、昔からの方式によるもので、副業的性格が強く、桑園反当り(一〇アール)六―八万円程度の収入に留っていた。ところが、最近における本町の養蚕業の発展には、目をみはるものがある。
 その原因は、昭和四一年(一九八六)長柄養蚕組合が発足、川嶋美董組合長を中心として、組合員が一致協力、近代養蚕技術の導入に力を注いだ賜である。現在(昭和四八年)繭の生産量は、長生郡全体の六割を占めている。表一四・五をみると、昭和四三年から収繭量は年々増加の傾向を示し四八年には、一戸当りの収繭量が四倍以上にも伸びている。飼育戸数は、一時増加の傾向を示したが、次第に一定の数に定着してきた。これは、養蚕が、副業的役割から専業的役割に変化してきたためであると思われる。
 

表14 長柄町収繭量

 
表15 長柄町収繭量の変遷
     年度
要項
434445464748
飼育戸数78 113 92 88 83 85 
掃立量236.25551.5720.2821.75899.5961.0
収繭量(上繭)6433.017717.822307.024489.028364.029873.2
箱当り収繭量29.032.131.029.831.531.0
一戸当り掃立量3.04.87.89.310.811.3
一戸当り収繭量82.5156.8156.8278.3341.7351.4
(長柄町役場資料)(単位kg)

 
 昭和四五年、長柄町養蚕組合と長柄養蚕組合が合併、一つの長柄町養蚕組合となり、会員は一二〇名となった。
 川嶋組合長は、本町に近代養蚕を導入した経緯について、次のように話された。
 
  「昭和四〇年頃、本県では、畑作振興の一環として、高能率で生産性の高い近代養蚕をすすめ、成田市を中心としたパイロット事業に着手、数百ヘクタールの畑地に集団桑園を造成、繭の生産から加工まで行えるシルクコンビナート構想の実現をめざしていた。ところが四一年七月成田空港の建設がきまり、この構想は中止の止むなきに至った。そこで県では、これに代る適当な処はないかと物色していた時、条件のよく似た長柄町台地が目にとまったのである。友納知事等の推進に対し、私(川島)は大いに共鳴し、長柄養蚕組合を結成、三五名の組合員と近代養蚕の導入に取組んだのが四一年のことであった。この新しい方法によると、一〇アール当り、一〇―三〇万円位の収入が見込まれ、一〇アール当り二〇万円に見積っても、一ヘクタール二百万円の収入となるわけで、この努力が前述のような発展をもたらしたように思われる。しかし、これで満足しているわけではない。昭和五〇年には、更に高収入を上げるため、機械化養蚕の実施にふみ切りたい。」
 
 この計画は第一六表に示したが、長柄山に約一二ヘクタールの山林原野を開き桑園とし、五戸の農家による養蚕協業経営の機械化体制を整えようとするものであった。この施設も現在ほぼ完成し、五一年から着々と成果をあげている。
 
表16 養蚕団地計画
年度事業主体施  設事業量事業費補助金
48長柄町桑園造成11.6ha47,480千円23,740千円
49中部
養蚕組合
トラクター
動力防除機
農機具格納庫
自動桑刈機
1台
1台
100m2
1台
1,500  
1,100  
1,500  
1,000  
750  
550  
750  
500  
50長柄農協壮蚕飼育所
自動結桑装置
450m220,000  10,000  
51町養蚕組合稚蚕飼育所150m219,000  950  
96,580  45,790  

 
 昭和五五年一〇月一九日、長柄山の養蚕団地を訪れ、壮蚕飼育所で給桑中の高橋伸広(金谷)さんに、近代養蚕の実際を伺った。
 だが、高橋さんの話の前に、従来の養蚕について少しく記さねばならない。蚕は、「ふ化」してから「上簇」(繭になる)までに、二〇―三〇日位かかるが、その間に四回脱皮する。脱皮前に一日桑を食べず静止期間があり、これを「眠」という。「眠」と「眠」との間を「齢」といい、第五齢で繭になる。第一・二齢の蚕を稚蚕といって、高温多湿な密閉した部屋で育てねばならないので、共同飼育が多い。三齢以後の蚕を壮蚕という。普通、農家では、春(四月下旬―五月中)と秋(八月下旬―九月中)の二回飼育する者が多いが、所によっては、この外三回も飼う所もある。
 養蚕作業は、極めて労力の多くかかるもので、表一七、一八をみると、その割合では採桑と給桑に約七割の労力を必要としている。その時期では、第四・五齢の時で、それに次いで多いのが、上簇と収繭となっている。上簇には、「まぶし」に蚕を一頭ずつ移し、収繭には、まぶしから一箇ずつ、手で繭をもぎ取っていたので、その労力はひどかった。
 
表17 養蚕作業種別労力
作 業春蚕秋蚕
採 桑20.7%38.4%
貯 〃5.6 4.8 
調 〃4.2 5.7 
給 〃50.2 32.6 
除 沙10.8 13.4 
湿温度調整3.3 0.4 
そうじその他5.2 4.4 
(昭45 平凡社百科事典)

 
 
表18 時期別労力の分布(労働時間の割合)
春蚕秋蚕
第1齢7.4%7.1%
〃2〃6.3 5.9 
〃3〃9.2 9.7 
〃4〃13.5 15.4 
〃5〃39.5 39.7 
上 蔟13.6 11.0 
収 繭10.5 11.2 
(昭45 平凡社百科事典)

 
 室温は、常に二二―二三度に保つことが必要である。だから「蚕が太ると女がやせる」という諺さえある。
 さて、現在は、これが、どこまで機械化されたか。高橋伸広さんは次のように語ってくださった。
 
  「長柄町の養蚕農家は五四戸ありますが、特に大規模なもの五つをあげれば、表19の通りで、そのうち加納さんが第一位、県下でも一位で全国でも一〇位に入ります。この団地にある機械と同じものをもっています。
 
表19 54年度長柄町養蚕実績
順位部落名農家氏名年間
繭生産量
備    考
1篠 網加納安之5,034kg県下1位・全国10位
2山之郷今田芳太朗2,268 
3蒔田斉2,182 
4長柄山中部養蚕組合2,022 養蚕団地代表蒔田保生
5山之郷蒔田信義1,229 
備  考組合員数 54戸,桑園 47ha

 
  私の桑園は六ヘクタールで、刈取りは、条桑刈取機と桑刈、バインダーを使っていますが、一〇アール一時間位です。飼育は、一、二齢までは、稚蚕飼育所で育て、三齢から上蔟までは、この壮蚕飼育所にある、マルビー式多段循環壮蚕飼育装置という機械で育てます。この機械には、ゴンドラのような大きな飼育箱がついていて、動力でゆっくり循環している。この一箱に三齢の蚕二三〇〇頭を入れ三日位給桑し、二つの箱に分け、更に五日位たつと三つに分け上蔟まで育てます。給桑は、自動給桑機を使うので、二、三人で三〇箱の蚕を飼育できます。普通の農家の養蚕が、春秋二回で三〇箱位であったから、この機械の能力が解るでょう。なお、この機械を用いると、六蚕期即ち年六回飼育でき、ここに二機あるから、その二倍も飼育できることになる。
  上蔟は、自然上蔟といって、飼育箱の周りに籾殻をまき、中に「回転まぶし四箇」(一箇に一二〇〇頭が繭をつくれる)をおいて上蔟させ、昔のような手間は省ける。部屋の温度調節も、ボタン一つで自動化され、「まぶし」を機械にかければ、機械が短時間で収繭してくれる。蚕体の消毒は、改良パフソールアリバントを使い、蚕室や蚕具は一蚕期毎にフオルマリン溶液で消毒します。
  蚕の成長も人間と同じで、わせとおくがありましてね。上蔟までに、大体四段階に分かれてしまいます。」
 
 この収入は、桑園一〇アール当り一〇―一五万位、上繭だと二〇万円位になるという。とにかく近代機械養蚕の実態をまのあたり見ることが出来た。今後、更に改善されてゆくことであろう。
 

養蚕団地稚蚕飼育施設

 

壮蚕飼育装置

 

回転まぶし(まゆをつくるはこ)

 註
 (1) 『千葉県史、明治編、千葉県』
 (2) 柴崎丞家文書
 (3) 長生郡町村長会議綴、町役場所蔵
 (4) 林勘五郎家文書。繭市場に関するものは総て同家文書である。