養豚

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戦後豚肉の需要が増加したので、副業的に一、二頭位ずつ飼育する農家が次第にふえ、昭和二四年(一九四九)に四八頭であったものが、同二六年に八八頭、同三〇年八二戸で一〇四頭、同三五年には一四九戸、二一四頭となっている。
 しかし、飼料の値上りや、労力の不足によって、飼育農家は、昭和四〇年に八二戸、四五年に二三戸、五〇年には一〇戸、五五年には僅かに九戸と減少したが、近代的な経営に移行し、飼養頭数は増加し、五〇年一〇一〇頭、五五年五三三頭となっている。日吉地区の小榎本で、養豚経営に取組んでいる渡辺泰之さんは次のように語っておられる。
 
  「現在、長柄町で養豚をやっているのは、長柄五戸、日吉二戸、水上一戸の八戸で、九戸だったのが、一戸やめてしまいました。私が養豚を始めたのは戦後の二二年です。前田政之丞さんは、戦前からやっていたのですが、今は止めました。私は三六年頃から肥育豚二〇頭にし、次第にふやし、現在は、繁殖用メス豚三〇、肥育用を二五〇―三五〇頭位飼っています。種豚は、テンドレースのメスと大ヨークシヤオスの交配した豚に、ハンプシャーをかけて、仔豚をとり、これを肥育しますが、仔豚は六か月で約百キロ前後に育て出荷します。飼料は、自家配合飼料七〇%、購入配合飼料三〇%を用いています。
  最も困ったのは、豚の糞尿の処理、公害等に悩まされたが、いろいろ研究を重ねた結果、微生物で醗酵させる方法を発見、昭和五一年から、自然醗酵、天日乾燥により、油粕とほぼ同じような効力のある肥料を作り、販売しています。この肥料は、「ナベトンユーキ」と名づけ、年二五トンほど製造しています。」
 
 そこで今後更に拡大する考えですかと尋ねたら、もうこれが、せい一ぱい、増やすことは考えていませんとのことだった。