「みこや台」は、伝うるところによると、千葉秀胤の砦とも飯尾豊前守の居城の跡とも言われ、東は九十九里浜をへだて太平洋が一望の中に見渡せる高台で、北には、千葉街道が通り、交通の要衝にも当っている。明治の中頃から山根部落民によって開拓の行なわれたところで、現在丘の上に開拓記念碑が残っている。
牧場には、牛馬を飼育している。牛は乳牛で、現在一〇〇頭、搾乳したものは、市川の明治牛乳に卸している。馬は、競走馬一〇頭をあずかり訓練する外、競走馬の繁殖用牝馬五頭、乗馬用八頭、ポニー一三頭を飼育している。その他、観光牧場として、梅林の育成を行ない、観光客も年間一〇万人に及び、将来更に盛になることが予想されている。
秋元牧場
秋元家は、三代前から搾乳業にたずさわってきたという。初代は金一郎氏(白里町南今泉出身)で、明治の中頃から千葉町寒川で搾乳業を営み、高熱殺菌装置をもち広く牛乳販売を行なっていた。同氏は、明治末から大正にかけて、長柄町山之郷方面の農家に仔牛をあずけることを考え、蒔田新作さんという人を通じて仔牛を依託したが、これが長柄と関係をもった始めであると言う。
二代目の清氏の談によれば、
「当時金一郎は、めす牛が生れると、牧場で約百日間餌付けをし、仔牛を引いて長柄まで歩いて農家に預けに来た。そして飼養法を細かに指導したという。この仔牛が成長して、はらみ牛となる迄には平均二八か月を要するが、そこで子どもを生まし、親牛は引きとって乳をしぼり、めすの仔牛一頭をそれに見合う謝礼として支払った。牛の預け先は、長柄の外、誉田や土気の農家にも及んだという」
誼礼氏は三代目であるが、現在清氏と共に秋元牧場の経営に当っている。長柄町が現在乳牛の盛んなのは、いろいろな条件によるが、その大きな原因の一つに、明治の中頃から乳牛の飼育に当ってきたこのような人々の歴史と経験があったことを見逃すわけにはゆかないであろう。
註
(1) 多賀太郎家文書
(2) 『長柄村誌』長柄小学校所蔵
(3) 長柄小学校所蔵
(4) 徴発馬匹記念碑(大津倉浅間宮下旧村道沿い)
(表) 徴発馬匹記念碑
(裏)
一、上段氏名
石川実之助、長嶋吉太郎、小宮米蔵、篠田久五郎、長島彦太郎、並木栄吉、行方与惣吉
一、中段氏名
大木道太郎、篠田惣十郎、鹿間為次郎、小池文蔵、長谷川保太郎、渡辺保太郎、鎗田正作、石川勝次郎、鎗田民造、須藤喜八、清田和三郎、月岡福寿、木村十次郎、林源吉、竹田万次郎、神崎倉吉、池座久太郎、伊藤久治郎、岡田松五郎、武田常治郎
一、下段有志者氏名
村上光之助、近藤民吉、行方久三郎、三枝金三郎、太田甚作、鎗田正作、鹿間倉吉、鶴岡豊吉、芝崎徳太郎、斎藤義治郎、村上東一郎、池座久太郎、前田伴蔵、鶴岡久太郎、安藤半十郎、篠田与太郎、渋谷幸太郎、石井精一郎、石井久五郎、鶴岡熊太郎、鹿間平三郎、月岡福寿、木村十次郎神崎又一郎、木村長治郎、鹿間勘次郎、大塚愛之助、渋谷利助、芝崎一郎次
明治三九年建 発起人
篠田惣十郎
石井伴蔵
(5) 使丁請約書(長柄村役場資料、町役場所蔵)
一、使丁ハ充員臨時及国民兵召集並ニ馬匹徴発伝達ノ下令ヲ受ケタル時ハ昼夜ヲ論ゼズ命令到達時刻ヨリ二十分以内ニ長柄村役場ニ出頭スルコト
一、召集令状及伝達書ノ送達ハ一時間一里半ノ速度ヲ以テ基準トシ神速ニ送達スルコト
一、使丁ノ賃金ハ役場設定ノ額ニ依ル。
右之通請書差出候也
明治四拾参年参月参拾日
長柄村味庄四番地 大和久良作印
〃国府里六二二番地ノ二 土屋久吉印
〃 〃 六二二番地ノ一 畠山三蔵印
〃 味庄三番地 大和久安五郎印
〃 味庄三番地ノ三 斎藤善吉印
〃 味庄六番地ノ二 山崎常蔵印
長柄村長 殿
(6) 明治三九年馬匹 配当表 (長柄村役場)
動馬準第七三号
明治三十九年度動員計画徴発馬匹前表ノ通リ配当致シ候条右通達ス
明治三十九年五月三日
長生郡長 浅沼介郎
長柄村長 畠山敬三 殿
(7)
(9) 長柄町役場文書、町役場所蔵
(10) 長柄村農会文書、町役場所蔵
(1) 多賀太郎家文書
(2) 『長柄村誌』長柄小学校所蔵
(3) 長柄小学校所蔵
(4) 徴発馬匹記念碑(大津倉浅間宮下旧村道沿い)
(表) 徴発馬匹記念碑
(裏)
上段(七名) | 中段(二〇名) | 下段 |
明治二七、八年日清戦役馬匹者氏名 | 明治三七、八年日露戦役馬匹者氏名 | 有志者名 |
一、上段氏名
石川実之助、長嶋吉太郎、小宮米蔵、篠田久五郎、長島彦太郎、並木栄吉、行方与惣吉
一、中段氏名
大木道太郎、篠田惣十郎、鹿間為次郎、小池文蔵、長谷川保太郎、渡辺保太郎、鎗田正作、石川勝次郎、鎗田民造、須藤喜八、清田和三郎、月岡福寿、木村十次郎、林源吉、竹田万次郎、神崎倉吉、池座久太郎、伊藤久治郎、岡田松五郎、武田常治郎
一、下段有志者氏名
村上光之助、近藤民吉、行方久三郎、三枝金三郎、太田甚作、鎗田正作、鹿間倉吉、鶴岡豊吉、芝崎徳太郎、斎藤義治郎、村上東一郎、池座久太郎、前田伴蔵、鶴岡久太郎、安藤半十郎、篠田与太郎、渋谷幸太郎、石井精一郎、石井久五郎、鶴岡熊太郎、鹿間平三郎、月岡福寿、木村十次郎神崎又一郎、木村長治郎、鹿間勘次郎、大塚愛之助、渋谷利助、芝崎一郎次
明治三九年建 発起人
篠田惣十郎
石井伴蔵
(5) 使丁請約書(長柄村役場資料、町役場所蔵)
一、使丁ハ充員臨時及国民兵召集並ニ馬匹徴発伝達ノ下令ヲ受ケタル時ハ昼夜ヲ論ゼズ命令到達時刻ヨリ二十分以内ニ長柄村役場ニ出頭スルコト
一、召集令状及伝達書ノ送達ハ一時間一里半ノ速度ヲ以テ基準トシ神速ニ送達スルコト
一、使丁ノ賃金ハ役場設定ノ額ニ依ル。
右之通請書差出候也
明治四拾参年参月参拾日
長柄村味庄四番地 大和久良作印
〃国府里六二二番地ノ二 土屋久吉印
〃 〃 六二二番地ノ一 畠山三蔵印
〃 味庄三番地 大和久安五郎印
〃 味庄三番地ノ三 斎藤善吉印
〃 味庄六番地ノ二 山崎常蔵印
長柄村長 殿
(6) 明治三九年馬匹 配当表 (長柄村役場)
動馬準第七三号
明治三十九年度動員計画徴発馬匹前表ノ通リ配当致シ候条右通達ス
明治三十九年五月三日
長生郡長 浅沼介郎
長柄村長 畠山敬三 殿
第一師団 第四動員 徴発馬匹配当表 明治三十九年五月二日 長生郡役所 | ||||||
徴発馬匹 差出場所 | 町 村 | 用役 | 徴発馬匹数 | 体尺 | 年齢 | 摘要 |
茂 原 町 | 一宮町 | 輓馬 | 二 | 四 尺 四 寸 以 上 | 五 歳 以 上 十 五 歳 以 下 | 検 査 開 始 午 前 七 時 |
八積村 | 〃 | 三 | ||||
茂原町 | 〃 | 一二 | ||||
長柄村 | 〃 | 一 | ||||
日吉村 | 〃 | 三 | ||||
豊栄村 | 〃 | 三 | ||||
庁南町 | 〃 | 一四 | ||||
合 計 | 三八 |
(7)
第十三師団第一動員徴発馬匹配当表明治三十九年五月二日 長生郡役所 | ||||||
徴発馬匹 差出場所 | 町 村 | 用役 | 徴発馬匹数 | 体尺 | 年齢 | 摘要 |
茂 原 町 | 八積村 | 乗馬 駄馬 計 | 一 三一 三二 | 四 尺 四 寸 以 上 | 五 歳 以 上 十 五 歳 以 下 | 検 査 開 始 午 前 七 時 |
二宮本郷村 | 乗馬 | 一 | ||||
東 村 | 乗馬 | 四 | ||||
帆丘町 | 乗馬 駄馬 計 | 一 二一 二二 | ||||
長柄村 | 乗馬 駄馬 計 | 四 一四 一八 | ||||
茂原町 | 乗馬 駄馬 計 | 一 九 一〇 | ||||
五郷村 | 乗馬 駄馬 計 | 一 三七 三八 | ||||
庁南町 | 乗馬 駄馬 計 | 二 九 一一 | ||||
西 村 | 乗馬 駄馬 計 | 一 五九 六〇 | ||||
合 計 | 乗馬 駄馬 | 一六 一八〇 |
(9) 長柄町役場文書、町役場所蔵
(10) 長柄村農会文書、町役場所蔵