日吉銀行設立当初の概要は、日吉銀行定款(海保四郎家文書)によって知ることができるので、主なものを記してみる。
第一条 当銀行ハ明治三十三年法律第七十二号銀行条例ニ準拠シ銀行事業ヲ経営スルヲ目的トス
第二条 当銀行資本金額ハ五万円トス
第三条 当銀行ハ株式会社日吉銀行ト称シ本店ヲ千葉県長生郡日吉村鴇谷七百四十一番地ニ支店ヲ同県同郡茂原町六百四十番地ニ設置ス
第四条 当銀行存立期限ハ設立免許ノ日ヨリ満弐拾箇年トス 但シ株主総会ノ決議ノ上之レヲ延長スルコトヲ得 (以下略)
第二条 当銀行資本金額ハ五万円トス
第三条 当銀行ハ株式会社日吉銀行ト称シ本店ヲ千葉県長生郡日吉村鴇谷七百四十一番地ニ支店ヲ同県同郡茂原町六百四十番地ニ設置ス
第四条 当銀行存立期限ハ設立免許ノ日ヨリ満弐拾箇年トス 但シ株主総会ノ決議ノ上之レヲ延長スルコトヲ得 (以下略)
銀行の定款をみると、第一条設立年、第二条資本金(これは、千葉県史所載の額とちがっている)、三条に本店と支店、四条に存続期間を示している。
「日吉銀行株式申込証」(3)によると、資本金五万円、壱株の金額五拾円、発起人は、三一名で、内日吉村が二五名となっている。なお、明治三三年当座預金通帳(成島孝太郎家蔵)によると、預金額は一四五円以上、日歩二銭一厘であった。
この銀行は、その後、利用者の不信か、政府の保証なきためか、大正二年一二月末日に閉鎖されている。当時の「日吉銀行整理に関する協定書」が、役場議事録に残っているので、参考のため註4に掲げておく。なおこの銀行の破産は多くの悲劇を産み、自殺者までを生じたのであった。