この組織は広く郷土の村々で行なわれていた旅費無尽で、出羽三山に参詣する旅費を積立て、その中の何人かずつが順番に共同の積立金で参詣をするもので極めて健全なものであった。大正一一年(一九二二)大津倉区「三山参詣養清講」の規約をみると、会員は三九名で、毎月の掛金五〇銭とし、参詣は毎年六人宛、七年間で終了するようになっていた。一人前の講金は三九円全部収めればよいとしてある。集金は世話人が集め郵便局に積立てた。三山参詣がすむと行人一同で「供養」を営んだので、続いて供養積立金を積立てていったところも多い。
ところで、大津倉では、延宝元年(一六七三)始めて三山詣りが行なわれて以来連綿と続けられているが、その外三山信仰をもっている旧日吉村、水上村、長柄山六地蔵などにも早くから講が作られ、現在尚続いているところもある。因みに千葉県の三山信仰は、全国でも最も盛んで、今なお出羽から御師の来るのは、筆者が山形県の養清坊において聴取したところでは次の通りになっている。
香取(山城房)、九十九里(澄円房)一の宮(善学坊)夷隅(正満坊)勝浦(澄学坊)茂原・日吉(大進坊)富津(春民坊)木更津・君津(大行坊・源澄坊・三蔵坊)姉崎(養清坊)山倉・海士有木(西蔵坊)五井(正伝坊)市川(橋本坊)長南(大進坊)