勤勉共進社

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明治二二年(一八八九)一月二〇日、榎本区の尾高恵也、岡本与太郎を主務者に、尾高吉治郎、尾高亀三郎、川崎長治郎、川崎忠吉、川崎寅吉、岡本福太郎、尾高吉太郎、高橋喜太郎を社員として結成された貯蓄組合とも言うべきものであった。その規約をみると、毎月金一〇銭宛貯金するを一株とし、一か月一円を主務者が集め、主務者の名で「駅逓局貯金預り所」へ貯金する、ただ社員一人で数株貯金してもよいが半株(五銭)ではいけない(規約五条)貯金の方法はなるべく毎月銀貨紙幣で主務者に渡すこと(六条)等十二条にわたっているが、積金の使用方法については、その規程が明かでない。然しこの規約の前文をみると、会の趣旨が極めて詳細に述べられているので、それらの目的に用いられたことであろう。その中の一、二を記してみよう。
 

勤勉共進社社員(川崎主計家蔵)

 共進社の目的としては「同志者団結シテ一層奮発勤勉シテ貯金ヲナシ、一ハ以テ起業ノ資本トナシ、一ハ以テ救荒予防ニ備へ以テ世態人情一変セシメ、窮境ノ僻村モ、大ニ昔日ノ面目ヲ改メ、駸々トシテ文明ノ域ニ進マンコトヲ祈ル」とあり、文明開化をすすめるには、何としても、勤勉貯蓄をして資本をためねばならぬと説いている。そして事をなすには、同心協力、言行誠実でなければならない、平素無事の時にこそ、天災時変や吉凶、患難に際会してあわてないよう、この予防策をたてることが大切で、それが同志共同の貯金であるとして、我国古来からの天変地異や、隣国である中国等の実例をひき、その必要を力説している(以上川崎家文書による)。
 これをみると、この部落が貯蓄ということに常に力をそそいでいたことがうかがえるのである。