学区取締

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学区取締は、原則として「其ノ土地ノ居住民ノウチ名望アル者」から、地方長官(府県知事県令)が任命し、給料は、地元負担としたが、区、戸長の兼任も認められた。
 人数は一中学区毎に一〇から一二、三名で、一人が二〇―三〇の小学区を分担した。
 その任務は、明治六年一二月、県令第一八一号によると
 一、其ノ所部内ノ学校ヲ毎月一回巡視シ教員ノ勤惰、生徒ノ進否等ノ詳細ヲ具状スベシ
 一、毎校ヨリ出ス処ノ人員出納表及就業表ヲ集メテ毎月一〇日迄ニ差出スベシ
 等とある。更に翌年九月には、整備された内容の布達がなされている。即ちその任務は
  1 小学校教員、事務係ノ監督ト指導。
  2 小学校資金等ノ取調。
  3 督学局、県庁カラノ諮問ニ応ジ未就学者ノ監督。
  4 私塾ノ取締。
  5 生徒試験ノ監督等。

 である。明治八年(一八七五)年以降は、広く管内を巡回し、その材料を持ちより、年四回県庁に会合して教育の改善意見を交換した。当時は、学区と行政区(町村)が一致しなかったので、ときどき戸長と学区取締の間に意見のくい違いが生じ、問題がこじれることもあったので、その後、学区と行政区を一致させるようにとの声が強くなった。
 明治一〇年一〇月二三日の『水上校沿革誌』をみると「学区取締鈴木輝巡回、学区内吏員を召集し、資本金を積むべきことを説諭す」とある。そうして、巡回した内容は、上掲のような形式により詳しく報告されたという。これをみると、学校や職員の勤務評定である。後の郡・県視学のような役目をもったものであるが、一二年には廃止された。
 
    部内巡視具状書
 一、学区ノ景状
 一、人心ノ向背
 一、教員ノ勤惰(個人毎ノ勤務評定ガ記サレル)
 一、生徒ノ進否増減
 一、書籍機械ノ整備