監視訓導

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小学校の教授や管理を指導するため、中学区内の一等小学(3)の訓導や校長に、その学区内を巡回させ、授業の得失(良否)や生徒の進歩の状況、試験の立合監督をさせた。いわば、現在の指導主事のような役目であるが、今と違い相当威圧的であったようである。明治九年「一等小学校訓導巡回心得」をみると、
 ○巡回は、一~二か月の中一回行うこと。
 ○「教則甚ダ整備セズ依然旧習ヲ墨守スル教員アラバ」其の地に滞在(三日以内)し、懇々授業の方法を指示し、書籍機械の活用の指導を行うこと。

 とある。明治八年(一八七五)六月二九日、水上校には、茂原校(一等小学校)訓導吉野城雄が巡回している。明治九年の監視訓導は、茂原校五等訓導(4)安西周平、長南校五等訓導小出三平、本納校四等訓導小高清であった。
 これらの監視訓導の学校巡回は、非常に権威をふりかざして威張り、やたらに教師を叱責し、児童までもとがめる傾向があり、巡視の声を聞くとふるえたといわれている。この制度も、一一年で打切られ、一六年には、督業(トクゲヨウ)訓導という名まえに代った。郡視学が置かれるまで、視学の役割もつとめたのである。