[[勤労青少年の教育]] [[Education for working youth]]

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 義務教育も満足にうけられない子どもに、働きながら教育がうけられる制度を考えるようになったのは、明治二三年(一八九〇)一〇月からのこと。それが、「実業補習学校」と呼ばれるものである。しかし、この教育が、実際に行なわれるようになったのは、大正に入ってからのことになる。
 その後、青少年に軍事教練を課すことを考え、大正一五年(一九四〇)に青年訓練所を設置することが決められた。しかし同じ青年を対象に二つの学校が存在することの不合理を改め、昭和一〇年に、二つの学校を統合して、青年学校を設置することにした。青年学校は、昭和一四年義務制となったが、時代は、戦時体制下であり、軍隊教育の下うけ機関としての教育を強制され、終戦を迎えたのである。
 次に郷土における、三つの学校について、その沿革の概要を記しておく。