長柄青年訓練所

436 ~ 437 / 756ページ
設置と同時に、次の指導者が任命された。
 主事(補習学校長・小学校長) 山田正雄
 指導員(小学校訓導) 高山茂夫
 同  ( 同   ) 石川良蔵
 同  ( 同   ) 西郡曻
 同  ( 同   ) 木島良平
 同  (補習学校助教諭) 柴崎盛伝
 同  (歩兵少尉) 宮崎重郎兵衛
 同  (砲兵上等兵) 道脇善夫
 訓練は、一月に始り一二月に終る。入所は毎年一月で、訓練期間は四か年であった。授業は、修身、公民、教練普通学科職業学科である。教育訓練の状況(含補習学校)を沿革誌の中から記してみよう。
 昭和二年一月五日、村農会主催、農産物品評会に生産物を出品する。
 同   二月七日、大正天皇御大葬遙拝式。在郷軍人、処女会各種団体、村民一同参集す。
 同   九月一七日、一泊修養会を開き村有識者及一般村民に呼びかけ訓練の実際を観覧させた。昼夜とも来会者多数。講師は、社会教育主事林太一、及指導員。
 昭和三年九月二二日、茂原町亀齢館で、軍人講話会が開かれ、生徒三三名出席、講師は和田中将、永津少佐である。
 同   六年一一月七日、研究会を行う。生徒三六名出席、九時より教練開始一一時半終了。中食後懇談会午後一時半閉会。
  講師、県青訓配属将校長沢少佐。来賓村有識者。青年各支団長、青訓後援会長など五三名。東村青訓生徒五名見学。
 同   七年一一月八日、青年訓練所査閲をうく。長柄小学校々庭にて行なわれ、日吉水上長柄三訓練生合同で七時より午後三時まで厳格に行なわれた。査閲官は、連隊区司令官南部中佐であった。
 同   九年九月二二日、竹田宮殿下から斉藤首相に贈られた鰹節を高吉勤之助がいたゞいてきたが、それを夜間訓練生にくれたので、夕食会を開き、夕飯に入れて味った。
  以上の記事からも当時の世相がうかがわれる。なお日吉青年訓練所の記録は明かではない。