長柄青年学校

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「沿革誌」によると「昭和一〇年七月一日、今般勅令、文部省令、県令ニ基キ、同年六月三〇日付ヲ以テ長柄青年訓練所ヲ廃止シ補習学校ノ学則名称ヲ変更シ、新ニ青年学校組織認可ヲウケタ」ので、開校式を行った。当日の状況は、生徒一二〇人、来賓木村助役以下四五名。式は次の順序で行なわれた。
 一、生徒来賓着席 二、開式ノ辞 三、君ケ代合唱 四、勅語奉読 五、学校長式辞 六、管理者告辞 七、来賓祝辞 八、閉式ノ辞 九、茶話会
 青年学校は、男女の青年に対し、働きながら学ぶ学校で、心身を鍛え、徳性を養い、実生活に必要な知識技能を授ける目的をもっていたが、戦争が激しくなると共に、軍事訓練が強化され、すべての行事も軍事的色彩の濃いものになり、鍛錬的行事が中心となっていた。
 昭和一〇年九月二一日銚子方面ヘ自転車行軍四八名。
 とあるごとく毎年、行軍は、重視して行なわれている。運動会は、一〇月―一一月の始めにかけて小学校と合同で行なわれた。
 また農業的行事も毎年重視して行なわれた。
  同一三年一一月一二日 神饌田収納式
  同一一月一九日 竹加工講習会 七〇名参加
  指導者は斉藤政雄(犬成)山口雄三(米穀検査所長)の二人であった。
  同一二年一月一六・七日、農産物加工品評会に全生徒出品。
  同一五年一月一六日、製炭窯二ケ所造成、製炭作業を行う。その他叺加工等も行う。
 

炭焼き作業(長柄青年学校)

  青年学校教練査閲は毎年一回行なわれる最も重要行事である。それらの記載を抄出すると次の如くである。
 昭和一〇年一〇月二三日、会場日吉校
 水上日吉長柄三青校生一〇八名受閲。査閲官聯隊区司令官宮地少佐。午前八時査閲開始、午前中に教練終了。午後講評をうける。当日は、村長始め三村の在郷軍人会長、国防婦人会、青年団役員参観。前日にはすべての書類を検閲する。
 同一一年一〇月二八日、査閲官小宮少佐
 同一二年一〇月二四日 査閲官石川少佐
 同一三年一一月八日、今年より、日吉・長柄・二宮三校査閲をうく。査閲官榎本宮大佐
 同一六年一〇月一日、二宮・長柄・豊田三校の査閲を二宮校にて行う。査閲官石川少佐
 同一七年一〇月一二日、査閲をうく石川少佐。
 また連合演習など軍事的行事への参加が行われた。
 同一〇年一二月一一・二日 郡内青年学校聯合演習実施。二宮押日に宿営し、払暁戦を行う。五・〇〇―九・〇〇時。統監学務部長。指揮官川村中佐であった。終って、長生中学(現長生高校)校に全員集会、講評をうけた。
 同一四年八月一八日「青少年ニ賜リタル勅語」奉載式。全校生徒出迎え、○時四〇分に到着後、奉載式を行った。
 同一六年五月二二日、全国青年学校生徒代表を宮城前広場に集め、陛下の御親閲を行った。代表者は、花沢幸 柴崎公平、大和久艶子で、柴崎盛伝教諭が引率した。
 同一七年七月二五日、柴崎盛伝教諭、満州国勤労奉仕係として出張、九月二二日帰国。
 同一九年一月七日、郡青少年団大会を茂原校で開催、午前五時会場に集合、参加一七〇名。盛会であった。
 歴代校長次のごとくである。
 平川公夫(昭一〇―一七) 大和久幸夫(昭一七―二〇) 柴崎盛伝(昭二〇―二一)
 

長柄青年学校(昭和15年)