日吉青年学校

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「沿革誌」によれば、「昭和一〇年四月一日、本年度ヨリ従来ノ青訓、補習学校ハ廃止サレ、両校ヲ合併シタルモノ、即チ両校ノ目的ト長所ヲ併セテ新シク青年学校ノ設立ヲ全国市町村ニ見ルコトトナリ、青年学校令ニヨル日吉青年学校ノ誕生ヲ見ルコトトナリ、学制ヲ制定シ之ニ則リ、教授訓練ヲナスコトトナレリ。本日、入学式並ニ始業式ヲ行フ。仲村々長外多数来賓出席。六月三〇日認可サル。」と記されている。教授・訓練の状況は前述の長柄青年学校と殆んど大同小異であるが、主なものを抄記しておく。
  (鍛錬的行事)
 昭和一〇年八月一九日、一宮廠舎に宿泊訓練を行い、夜間演習を実施する。往復は、行軍演習をする。村長ほか職員参加。以後毎年、一宮廠舎で宿泊訓練を行った。

 同一二年二月六・七日 横須賀方面見学旅行を行い、軍艦「三笠」などを見学する。
 同一四年四月一五日、鶴舞方面へ自転車行軍
 同一六年八月一六日 女子部一宮海岸まで耐熱行軍をする。
 同一七年三月九日、長生高女にて、青年学校生徒戦技錬成大会に参加、優秀であった。
 同年四月一七日、長生中学(現高校)にて、青年学校国防体育大会に生徒参加
 同年七月七日、支那事変五周年記念式典及び武道大会を催す
 同年一一月二八日 敢兵制度七〇周年記念式典を挙行
  (青年学校教練査閲)
 毎年、日吉長柄水上の三校で行なわれていたが、昭和一三年には、長柄日吉二宮で行なわれるようになった。その後、同一六年から、水上・日吉・豊栄の三校で行なわれた。そして、その会場で、成績が発表されていたが、昭和一八年(一九四三)三月一三日「査閲綜合所見並研究懇談会」を茂原青年学校で開き、山武・長生・夷隅三郡下の青年学査査閲の成績をまとめて発表することになった。当時は、校長及出席指導員が参加。連隊区司令官柴田一中佐、社会教育課主事徳山盛之出席、講評があったが、本郡は、優秀一九校、優良七校で、その成績は県下随一と好評を得た。日吉・水上・長柄とも優秀であった。

  (軍事的行事)
 同一〇年一二月一一日 郡青年学校連合演習に参加する。
 同一六年五月二二日、御親閲拝受、生徒代表東京に出張。
 同一六年一二月八日、大東亜戦おこる。

  (その他)
 同一六年三月二七日、茂原校で、裁縫・手芸展覧会を催し、早縫競技会が行なわれ、本校生徒優秀であった。
 同一七年一一月二〇日 川村秀文知事、農村視察のため来校、生徒に訓辞を行った。