処女会

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愛国婦人会は農村地域にはほとんど普及せず、実質上の女性の集りとして最初のものは処女会で、その結成が進められたのは大正中期ころからであったが、日吉地区では加藤鴇夫氏(日吉小校長)が推進役となって未婚の若い農村婦人によびかけて処女会を結成したのは大正十一年で、会員は十五名ほどであった。しかし日常的な活動はあまり見られず、小学校の女教師の指導で、料理などの講習を受け、学校の運動会に青年団と共に参加するなどに止まったが、間もなく青年団女子部として吸収せられて行った。水上長柄地区にも結成せられた筈だが、まったく記録がないことは残念である。