社会教育委員会

456 ~ 457 / 756ページ
戦前の社会教育は、政府の統制的な指導によって、戦争遂行という国策協力のための手段に利用されることが多かった。終戦後は、日本を民主的な国家にする為には、一般成人を対象とする教育の重要性が指摘され、社会教育の分野にも一大変革が行なわれた。その経過を辿ると、昭和二〇年(一九四五)九月一五日「新日本建設ノ基本方針」の中で社会教育について、「国民道義の昂揚と国民教養の向上のため、成人教育、勤労者教育、家庭教育、図書館、博物館等、社会教育全般に亘り、これが振興を図り」と述べ、同年九月二五日には、文部省から「青少年団体の設置並に育成に関する件」が通達された。昭和二一年五月には、社会教育委員制度が発足し、各町村に社会教育委員がおかれた。同二三年、教育委員会法が作られると、社会教育の事務は、教育委員会に移されたが、二四年六月、社会教育法が制定されて、社会教育の目的や内容が明瞭に示され、社会教育は、次第に地についたものとなっていった。
 そして、二五年からは、同法による社会教育委員が選ばれ、社会教育の推進に当ることになった。その後、三〇年(一九五五)長柄町(三村合併)が誕生したので、「長柄町社会教育委員会条例」を制定し、新しく社会教育委員が選ばれ、今日に至っている。
 委員の定数は一六名、任期は二年で、町内小・中学校長、社会教育関係団体の代表、議会代表、学識経験者等の中から教育委員会が依嘱することになっている。歴代の委員長は、次の通りである。( )内は就任年度。
 柴崎盛伝(昭三〇)、木村六郎左衛門(昭三四)・鶴岡嘉之(昭三五)、鶴岡仁一(昭三八)、鎗田寿(昭四二)、大和久忠敬(昭五二)、山口哲男(昭五四)。