中央公民館は、昭和四九年(一九七四)三月、総工費二億八三六万三千円をかけて竣工、七月に開館の運びとなったが、社会教育活動の拠点として、極めて多方面に利用されている。公民館は終戦後の落胆と虚脱、悲惨と窮乏の中で、どうして日本の建て直しをしたらよいだろうかとお互に集って話し合おうという願いから、当時建物のないままに、いわゆる青空公民館として出発したのがそもそもの始りである。
文部省が「新日本建設の教育方針」を発表したのは、昭和二一年九月のことで、その中で、新日本の建設にまい進し、世界の平和と人類の福祉に寄与する為には、国民資質の向上、国民道徳の高揚などが目下の急務であることを指摘した。そうしてこの目標に向って国民一般への社会教育が活発に展開されることを切望した。公民館は実にこの指標に従って全国市町村につくられることになった。しかし、本町は、予算の関係上、旧来の学校施設等を利用していたが、合併二〇年目に漸く、町民が自由に楽しく利用できる白亜の公民館が出来上ったわけである。公民館は、町民が、いつでも、誰でも自由に利用し、お互の心を開き、話し合ったり、町民意識を高めたりできるよう、設計も工夫されている。なお、結婚式場にも利用できるようになり大いに利用されている。
中央公民館全景