長柄町連合婦人会の活動

462 ~ 463 / 756ページ
昭和二十九年十月、町村合併の気運が熟したのを機会に婦人会も連合体をつくり、初代会長に長柄地区木島きくさんが就任した。昭和三十年に水上地区の村上孝子さんが会長に就任つづいて三十一年には、日吉地区永井初子さんが会長に就任した。この頃婦人会員は、人の前で自分の意見を発表することが極めて苦手であった。そこで何とかして会員が自由に意見をのべられるようにしたいと考え、永井会長の卓見により、五分間の意見発表会が行なわれた。各地区から五名の選手を選んで行ったのであるが、生れて始めて大勢の前で話しをするという人もあって、全くあがってしまい、随分苦心して暗記をしてきた原稿の内容もしどろもどろになるといった場面もあった。然しこれは他の町村ではみられない試みであり、見学者も増え、有線放送で全町の家庭へも放送された。これによって婦人会の話し合いは、次第に活発になっていった。尚永井会長は婦人の学習の大切さを強調し、昭和三十二年、三十八年、三十九年、四十年と文部省指定の婦人学級を開設し成果をあげてきた。
 

(意見発表の婦人会員・朝日新聞より)

 昭和三十八年(一九六三)オリンピックの前年に当り、町では、町民体育大会と文化祭を盛大に行ったが、婦人会四百五十名は、揃いの浴衣で「おけさ」「東京オリンピック音頭」を昭栄中の校庭一ぱいに展開して協力をした。以来毎年、年中行事として行い年々盛大となっている。
 昭和四十年町村合併十周年を機会に合同ひもとき祝いを行うことにし、四十一年には、長柄日吉水上全地区の新入生が中央公民館で厳粛に式をあげることができるようになった。保育園や幼稚園の教育をうけているだけに子どもの態度は実にりっぱになってきた。町をきれいにする運動には、婦人会が中心となり、川の清掃は月一回行っている。昭和四十八年千葉国体には町婦人会をあげて協力をした。
 
長柄町歴代婦人会長水上地区日吉地区長柄地区
1木島きく地区婦人会長神崎トキ  木村錦子鹿間のぶ 石川八重黒須はな  木村ゆき
2村上孝子平野まさ子 村上孝子阿部とく 平川とり矢部きくや 木島きく
3永井初子佐久間朝子 大塚尚子三橋たい 永井初子岡本静江  石渡ゑん
4石渡ゑん篠田元子  神崎たけ友次松子 渡辺とよ金坂米子  柴崎あさ
5篠田元子酒巻津子 宍倉マサ風戸高   遠藤芳子
6神崎たけ酒巻瑞枝 前田久子岡本はる江 平川貞子
川嶋かほる