長柄町野球連盟

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昭和二一年(一九四六)一一月、日吉村に、日星倶楽部という野球クラブが結成された。戦後青年たちの健全育成のための施設であったが、当時としては、誠に珍らしいことであった。その後、三九年(一九六四)六月二八日、水上公民館で、長柄町青年団の理事会が開かれた。約二〇名の理事は、青年団の拡充と運営について真剣な討論を行い、青年団を魅力あるものにする為、野球と演劇の二つのクラブをつくることに一決した。山口団長は、野球クラブ会長に田辺紀吉(体育部長)を、演劇クラブ会長に風戸市平を推し、クラブ員を募集して活動を行うことにした。
 

野球クラブの結成(昭和21年)

 野球クラブは結成され、練習を開始したが、道具もユニホームもきまったものはなかったので、郡の体育大会に出場しようということになった時、ハタと困ってしまった。教育委員会に相談をもち込むと、三橋弥八教育課長は、町予算で六千円は出せるが、それ以上は無理であるとのことだった。ところが、これをきいた平野教育長は、ポケットマネーの中から、一チーム分のユニホームを寄附しようと申し出られ、試合に出場することができた。初めて着用するユニホームは、誠に晴がましいものだったが、試合の成績はあまり芳しいものではなかった。然し基礎はしっかり固まったのである。その後小倉一夫君の努力で、針ケ谷、鴇谷に一チームが出来、上野・山之郷チーム、六地蔵・長柄山チーム、徳増・榎本・小榎本チームと合わせて四チームとなり、練習試合もできるようになった。
 昭和四一年、農村の過疎化対策として、青少年の農村離脱を防ぎ、魅力あるものにするため、各地域に野球チームを結成することにし、既にできているチームの外に、山根・力丸チーム、鼠坂団地チーム、大津倉高山チーム、刑部チームの結成をみた。そこで、長柄町野球クラブを解散し、名称を長柄町野球連盟と改め、会長に岡本郁郎町長、理事長に近藤栄一を戴き、町補助金も大幅に増してもらった。その後、いろいろな試練を重ね、郡野球大会に優勝する実力をもつようになった。また茂原市野球協会にも加入したので、茂原市代表として、県予選の地区大会にも出場できるようになった。
 このようにして、発足以来一七年、日星クラブ誕生から三五年に及び、昭和五五年現在、一一チームとなり、選手の層も厚く、町当局の理解のもと、地域社会のスポーツ団体として、充実した活動をしている。チーム名と人員は前表の通りで、役員は会長・山口哲雄、副会長・小倉一夫、理事長・月岡清、監事・篠原貞夫、高仲国雄である。
 
チーム名人員チーム名人員
ニューアローズ二三鼠坂団地一四
イーグルス一八大瀬クラブ一五
レッドネーク一七ニューイーグルス一六
ジャガース一六宝洋オリオンズ一四
北 斗二〇レッドローズ一四
ヤンガース一八

 
 歴代会長は、初代 岡本郁郎、二代 近藤栄一、三代 山口哲雄の諸氏である。