長柄町々民体育大会

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長柄町々民体育大会は、昭和五五年一〇月一〇日、第一七回目を迎え、盛大に行なわれた。町民が一堂に会し、体育やレクリエーションを楽しむということは、誠に意義深いことであるが、一七回という永い間続いていることは、四隣町村にもその例をみないのである。その大きな原因はどこにあるかを考えてみると、一、町民意識が高まってきていること 二、体育協会の活動が充実してきていること 三、町当局の理解と援助が適切であることなどによるものであろう。このような行事は今後も永くつづけてほしいものである。ところで、この行事は、いつ、どんな目的で生まれたものであろうか。長柄町広報をみると、昭和三九年一〇月一日の記事に次のように述べられていた。
 「町民体育大会、一一月一日開催。町民の皆様もごぞんじの通り、今年はアジアで初めて行なわれる東京オリンピックの年でございます。この意義ある年に、我が長柄町も町民体育大会を開催し、体育を通じ、益々町民意識の昂揚と体育の向上を図りたいと存じます。今年は第一回でありますから、競技種目及び選手を限って実施致します。競技方法は地区対抗とし(三地区)、小・中・高校の選手は参加できません。……」。
 即ち、東京オリンピック記念にという意味をもって行なわれ、会場は、昭栄中学校とした。第一回の実施概要は、広報特集号にくわしく記されているが、八時三〇分の開会。出場選手七〇二名、婦人会員三八〇名役員八〇名、応援一、五〇〇名で、田辺紀吉選手の力強い宣誓に始まり、婦人会のオリンピック音頭に盛んな拍手がわいた。成績は、赤組一〇九点、緑組一一一点、黄組一四九点であった。
 その後、四〇年一一月三日には、合併十周年記念の町民体育大会が行なわれ、競技方法も男女別、年齢別制を採用して、多彩な競技が行なわれた。その後、現在まで、続いている。近隣町村では、大てい中止されたが、本町は年々盛大になっている。
 

町民体育大会開会式(昭52.10)