この五坂は、東浜往還、中往還と呼ばれた重要街道の中にあり、江戸への往還には、どうしてもこの坂道を通らねばならない。中でも、中往還は、峻しい山谷が多く、それらを避けて迂回路にしたため、その距離は、大へんなものだった。しかし、近世初期に本多大内記忠朝が新道を開いてから、距離は三分の一になったものの、幾つもの山坂を通ることになったわけである。『埴生郡聞見漫録』(房総叢書所収)によれば
いにしへ大田喜より江戸へ往来は、下大田喜より駒返坂を経て、妙楽寺大上(オホガミ)を過き、それより埴生郡に入り、森、芝原、古のつぎばなり、給田、葛田、坂本を経て長南に至りしを、大坂冬御陣の時、本多大内記忠朝は、大田喜の城より出てて駒返坂を過き給ふ。時に鼬出でて路よこぎりしかば、それより馬をかへし、更に新道を開き、小土呂、市ノ野、佐坪、茗荷沢を経て長南に至る、行程三分二の労を省けり、道つくりの武(民カ)、本多侯の鉄棒を見て、いかてつかひ給はんといひしを聞給ひて、つかいて見せ給ひし地を棒坂といふ。佐坪と市ノ野との間にあり。
と記されている。
これらの坂道は、何れも、土木機械など極めて貧弱な明治の初めに、大改修が行なわれたのである。いま、小土呂に残る安川柳渓撰文の「修道碑文」(3)をみると先人の努力に改めて感謝の念がこみ上げてくるのである。中でも、小土呂坂の開鑿は、最も困難を極め、「歳を閲する一紀、役夫五万人を費せり」(4)といわれている。次に五坂の改修経費をみると、
第一期 | (三坂分) | 三一一四円五七銭四厘 |
第二期 | (二坂及六地蔵坂分) | 二五七六円六八銭四厘 |
合計 | 五六九一円二五銭八厘 |
という莫大なものであるが、その三分の二以上は地方税で、地元負担は三分ノ一弱の八一三円一五銭四厘である。これによって郡内の交道は一段と便利になり、県道編入への大きな足掛りともなったのであるが、次に郷土に関係ある坂路の工事(5)についてその内訳を記してみよう。
(ア) 鼠坂 明治一五年二月着工。
○総工費 八三五円四八銭二厘
(内) 地方税 六五五円一八銭六厘 地元負担 一六三円七九銭六厘 協議費 一六円五〇銭
その内訳 ○七六七円七〇銭七厘 (延長九百二間一尺(約一六四〇米)の間切下げの改修費で人足三、二六六人八分四厘分、一人二三銭五厘)
○五一円二七銭五厘 (根留〓(さく)百九間(約一九八米)で杉丸太九一本、葉付竹八八〇本そだ二〇束使用。杉一本六銭四厘、そだ一束五銭四厘、竹一本六厘)
○一六円五〇銭 (畑一畝歩、山林藪地畑一反一五歩、土捨場一反歩の代金)
この鼠坂は、現在のものではなく、長柄農協前から、山を切崩し、長柄小学校裏を通って六地蔵へぬける道で、現在もその一部は使用され、昔の面影をとどめている。
(イ) 針ケ谷坂 明治一六年二月着工
○総工費 一七三六円四〇銭五厘
その内訳 ○一四八〇円八二銭八厘 (延長五二一間四尺一寸(約九三八米)の坂道を切下げ、トンネルと排水溝をつくる。人足五二三一、一五人、一人二五銭。石工四三二、六人、一人四〇銭の賃金である)
○二五円五七銭七厘 (根留〓七一間(約一二七・八米)、高さ三尺とする。杉丸太二一五本、代一本七銭五厘竹一四二〇本、代一本五厘。そだ四七束、代一束四銭宛)
○二三〇円 (土地買上代で田一反五畝(一反百円の割)畑一反歩(代五〇円)山林三反歩(一反一〇円の割)
これは現在の道路より東側の泉谷を通り、トンネルをぬけて権現森の東中腹を通って長柄山に至るもので、トンネルは現存し、子供達が、「こうもり」をとりにいったりしていた。一部は農道として利用している。
(ウ) 六地蔵二坂 明治一六年着工
総工費 三二一円四〇銭九厘
その内訳 ○三一〇円二五銭五厘 (延長二一六間 三尺の道路の改修費で人足、一二四一人弐厘、一人二五銭宛の代金) ○一一円一五銭四厘
(これは宅地壱畝歩を反一一一円五四銭の割で買上げた代金)
○総工費 八三五円四八銭二厘
(内) 地方税 六五五円一八銭六厘 地元負担 一六三円七九銭六厘 協議費 一六円五〇銭
その内訳 ○七六七円七〇銭七厘 (延長九百二間一尺(約一六四〇米)の間切下げの改修費で人足三、二六六人八分四厘分、一人二三銭五厘)
○五一円二七銭五厘 (根留〓(さく)百九間(約一九八米)で杉丸太九一本、葉付竹八八〇本そだ二〇束使用。杉一本六銭四厘、そだ一束五銭四厘、竹一本六厘)
○一六円五〇銭 (畑一畝歩、山林藪地畑一反一五歩、土捨場一反歩の代金)
この鼠坂は、現在のものではなく、長柄農協前から、山を切崩し、長柄小学校裏を通って六地蔵へぬける道で、現在もその一部は使用され、昔の面影をとどめている。
(イ) 針ケ谷坂 明治一六年二月着工
○総工費 一七三六円四〇銭五厘
その内訳 ○一四八〇円八二銭八厘 (延長五二一間四尺一寸(約九三八米)の坂道を切下げ、トンネルと排水溝をつくる。人足五二三一、一五人、一人二五銭。石工四三二、六人、一人四〇銭の賃金である)
○二五円五七銭七厘 (根留〓七一間(約一二七・八米)、高さ三尺とする。杉丸太二一五本、代一本七銭五厘竹一四二〇本、代一本五厘。そだ四七束、代一束四銭宛)
○二三〇円 (土地買上代で田一反五畝(一反百円の割)畑一反歩(代五〇円)山林三反歩(一反一〇円の割)
これは現在の道路より東側の泉谷を通り、トンネルをぬけて権現森の東中腹を通って長柄山に至るもので、トンネルは現存し、子供達が、「こうもり」をとりにいったりしていた。一部は農道として利用している。
(ウ) 六地蔵二坂 明治一六年着工
総工費 三二一円四〇銭九厘
その内訳 ○三一〇円二五銭五厘 (延長二一六間 三尺の道路の改修費で人足、一二四一人弐厘、一人二五銭宛の代金) ○一一円一五銭四厘
(これは宅地壱畝歩を反一一一円五四銭の割で買上げた代金)
新開発坂道の図