大正八年(一九一九)制定の道路法により里道の中特に重要なものを郡道に指定したが、大正十二年三月郡制が廃止になり、郡道の過半数は県道に、他は町村道に移管されることになった。当時牛久から内田を通り、刑部、日吉、豊栄を経て茂原への道は、長生郡を東西に連絡する重要な郡道で、関係する町村も多かったので、同十一年二月、水上村長清田和三郎、郡会議員太田弥三郎、日吉村長前田義造、郡会議員仲村玄造他関係四か町村の代表者で、県道移管の請願を行い許可を得ている。(6)
鴇谷トンネル(大8.10 建設・長30m 巾2m)
上図のトンネル開通時の写真
碑の傍りに立つ佐久間惣次郎氏(ドロップの創始者)の寄附であった。工費その他不明