農村振興土木事業による道路改善

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昭和五、六年頃より農村には不況が深刻になったので、政府は、昭和七年(一九三二)より三か年間に亘り、農村の土木事業に対し大幅な補助金を支出することにした。県通達「農村振興土木事業執行要項」(9)によると、その目的を「農山漁村疲弊匡救ノ目的ノ下ニ土木事業ヲ振興シ地方民ヲシテ勤労収入ノ機会ヲ与フルト共ニ国民生活ノ安定ト自力更生ヲ計ラントスル」ことにおいた。そのため、事業の四分の三の補助金とその他低利資金の融資を計り、工事には原則として、地元民の就労をすすめたが、就労の条件は次の如く定められていた。
 ①就労時間 四月一日―一〇月三一日一日九時間一一月一日―三月三一日一日八時間トスル
 ②賃金 人夫六五―七〇銭、土工一一〇銭以内、大工 一三〇銭以内、石工、石積一三〇銭、石切一五〇銭、左官一三〇銭、鳶一二〇銭、鉄筋工二一〇銭、女子は男子の十分の七。
 ③事故に対する処置 障害をうけた者二〇円―二〇〇円支給、死亡の際葬祭料二〇円。
  遺族二〇〇円以内支給。

 この当時改修された主な道路をあげると、
 一、刑部三沢谷―稲毛谷七曲坂九四〇間(一六九二米)、昭和八年より三ケ年計画、工費一六〇〇円にて改修。
 二、大庭道路及橋梁改修三八五間(六九三米)、昭和八年度、工費九九一円二四銭
 三、大津倉―深沢地先。九五〇米、幅二、八米以上。昭和七年度。五十日間。
 四、国府里地元道路改修、昭和九年、二六〇〇米幅四、五米、工事費一六〇〇円(補助一二〇〇〇円、借入金四〇〇円)

 このように僅かずつではあるが、国の補助により、地方道の整備が徐々に進められていった。