二 戦後の道路 2 Post-war roadways

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 昭和二〇年代は、敗戦によって国土は荒廃したが、国民は食糧を得ることに精一ぱいで、とても道路の改善にまで手を伸ばすことはできなかった。しかし、昭和二〇年代の後半から失業対策による土木事業が計画され、三〇年中頃までに町村道の整備に大きな役割を果した。昭和三〇年(一九五五)、町村合併が実現すると、歴代町長は、地域の産業開発の為には、道路の開発が最も重要であることを認識し、その整備には絶えず力を注ぎ、昭和四〇年の後半から急速に町道の舗装も進んでいる。これは、一方には農家に大型農用機械や自動車などが導入され、それにふさわしい道路の整備が要求され、他方では、優れた土木機械や技術の進歩が活用されたことによるものであろう。これに拍車をかけたのは、農業構造改善事業による道路の整備である。このようにして長柄町の道路は、曲りくねった山坂の泥んこ道の汚名を返上し、近代化された道路に生まれ代りつつあることは、誠に喜ばしいことである。次にその主もなものについて概要を記してみよう。