町道の整備(失業対策事業)

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戦後町道の整備について、最初に取上げられたのは失業対策による土木事業である。この事業の目的とするところは、戦後の経済不況から、失業者の救済を目的としたものである。即ち緊急失業対策事業が立法化され、全国的に各自治体、特に農村地域において、苦しい財政事情から地元住民の潜在的失業者の登録を行ない、各自治体の公共事業を推進させたものである。当時は、世に言う「ニコヨン」賃金が一日二四〇円であり、全額国庫補助であった。次にこの事業が、いつから、どのように行なわれたかについて、概要を記してみよう。
 長柄町合併前では、昭和二七年(一九五二)―二九年の三か年間に、水上村の刑部―高山線の新設改良工事を行っている。この工事の所轄は、茂原公共職業安定所であった。当時、失業対策事業を行っていたのは、旧水上村(鶴岡金蔵村長)のほか、茂原市、西村、一宮町、長南町ぐらいであった。
 ついで、町村合併後、昭和三〇年(一九五五)から同四〇年の一〇年間に実施されたものをみると、四路線で、総延長九六三九八米に及び、その費用二二四四万七千円、工事延人員二七二三三人に上っている。この中主なものは次の通りである。
 1 大津倉(水上小学校入口)より針ケ谷、初芝線道路改良工事。昭和三〇年度。
 2 大庭―高山―鴇谷線改良工事。昭和三一、二年度。幅員四米、延長三キロ米、隧道八〇米。
 3 鴇谷―六地蔵線(昭栄中学校裏門から秋元牧場経由、県道千葉―茂原線に接続)、新設改良工事。幅員四米、延長三キロ米 昭和三五―三七年度。
 4 鼠坂―六地蔵線道路改良工事。昭和三八年度。

 
 昭和三九年頃から高度成長期に入り、失業者も少なくなり、人夫も老齢化したので町道の補修に切替え、四五年一月に終了した。この中、三二年に行なわれた高山鴇谷線工事について記してみよう。
 この道路は、昔から、笠森―大庭―高山―鴇谷―桜谷―六地蔵へ通ずる重要な街道であった。工事は、道路の一部一〇六〇米の区間を幅四米に広げ、途中約八〇米のトンネルを造るものである。工事は、総工費二二九万三千五百円(内トンネル工事費一〇四万円)。人夫延人員七五〇〇人という大きなもので、これによって、大庭、高山方面から日吉、長柄に行くには、極めて便利になった。その後更に道路は拡張され、トンネルの北側を切割とし、完全舗装され、鴇谷の橋も永久橋となり、五五年三月竣工。長柄一のすばらしい町道となった。