1 戦前の交通安全運動 1 Pre-war road safety campaign

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 明治以前の道路交通といえば、人や馬や駕籠ぐらいのものであったから、「道中の安全」は、盗賊におそわれたり、毒虫にかまれたりすることから身を護ることや適当に休息をとること位であったといえよう。そのためには、街道にある茶店や、道しるべ、いろいろな石仏などが、その役を果していたわけである。
 ところが、明治の中ばから大正、昭和にかけて、文明開化の乗物がつぎつぎに登場して来た。それでも人力車や乗合馬車は、スピードの点ではそう速くはないが、自動車が出現するに及んで、道幅をとる上に、スピードも増してきて、さまざまな交通事故が発生するようになってきた。
 その原因を調べてみるに、道路の両側に、泥やごみをかき上げたり、商店の品物をおいたりして、道幅を狭めている場合が非常に多いことが明かとなった。つまり、車の通行の円滑を人間の方で妨害していることになる。そこで昭和一一年(一八七八)一二月、茂原、一宮両警察署は、茂原土木出張所、各町村役場と協力して、「交通取締り」にのり出した。
 その時、各戸に配布した「交通取締りに就て」(9)という印刷物をみると、「交通支障物の主なるもの」として、次の一五項目をあげている。
 
  一、店舗に庇又は日除けを、突き出し見通しのつかぬもの或いは商品の陳列
  一、屑物商にして空缶その他の荷造
  一、農具販売店又は試運転
  一、自転車店、呉服店、雑貨店、材木店又は製材工場等物件設置
  一、臨時市場専用区域外の乱用
  一、牛馬車を電柱その他に繋留するもの
  一、下水掃除に際し泥土をそのまま放置
  一、塵芥の抛棄又は非衛生的のもの
  一、広告塔又は幟の様のもの
  一、自動車の水洗並に道路に数時間放置
  一、道路敷を乱用し、穀物その他の乾燥
  一、道路に於ける種々なる遊戯
  一、自転車の並行乗車又は規定外乗車
  一、舗装道路に撒水の程度(略)
  一、降雪の仕末。

 
 そして、「一人の不注意のために万人が迷惑を蒙ること」なきよう、各位の注意を促している。その後、自動車その他の交通は、激しくなっていったが、農村などに於ては、それ程神経を悩ますこともなかったのである。