長柄町電話の自動化

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昭和四二年(一九六七)長柄町長期総合計画書によると、本町の電信電話の問題点と対策について、次のように述べている。「本町は、大部分が第一次産業である関係から、電話の普及は極めて低く、その普及率は五・五%である。(表参照)また、同一町内にありながら取扱局は二局あり、旧長柄地区は茂原局、旧日吉水上地区は水上局となっており、茂原局管内は、自動ダイヤル式で、千葉東京は勿論、全国の自動局と即時通話が可能であり、近代施設の恩恵に浴している。しかし、水上局管内は、磁石式手動局であり、管外の即時通話は不可能であるため、以前からその一本化に努力してきたところである。今後、産業開発、観光開発が進むにつれて電話の需要は益々増大するものと予測されるので、なるべく早期に水上局を茂原局に統合、自動化するよう積極的に関係機関に運動を展開したい」と。
 
長柄町電話加入状況(昭42)
区 分加入者数長 柄日 吉水 上普及率
茂原局自動式46442
水上局手動式461432
924416325.5%

 
 その後、地元関係者の努力と町民の協力により、見事計画は実現され昭和五〇年(一九七五)一月二八日午後二時、長柄町電話交換局が誕生、電話ダイヤル化が完成した。これにより、水上局の交換事務は一切廃止された。なお、天気予報、時報(共に一一七)サービスも提供されるが、無人局なので、営業々務は、茂原電報電話局が取扱うことになる。設備概要次の通り。
 所在地  長柄町立鳥四一一番地
 敷地   一〇〇・四七m2
 機械   C四六〇型交換機
 市外局番  〇四七五三五

 加入台数は一六四七台で加入率九二%、どこの家にも、公社と有線の二個の電話を持つことになった。その上公衆電話も、右の表のように四五個も設置され、極めて便利となったのである。
 
公衆電話の数 昭55.4調
種   別長柄町長生郡市
①電話ボックス黄電話118
②  〃   青電話9120
③赤でんわ(10円)28576
④卓上型青電話7106
⑤ 〃 黄電話0(茂原  
のみ)23
45843

 
 

長柄電話交換局(自動)

    註
 (1) 『千葉県史』明治編
 (2) 雑誌『資金』(財政資金研究会発行)所載郵政紀行(14)・(21)・(24)・(25)等の論文より。
 (3) 郵政省発行による。
 (4) 逓信公報には、「三等郵便局長(上総、長柄山)長沢俊雄。給五級手当(明治三一年九月一〇日)とある。
 (5) 逓信博物館所蔵。
 (6) 『明治文化史・生活編』洋々社発行。
 (7) 『郵政百年のあゆみ』郵政省発行。
 (8) 『茅ケ崎市史研究』(茅ケ崎市史編纂委員会)西川武臣「文政期以降の幕府公金貸付制と旗本知行地」による。当時、借入金は、表の通りであった。
 
表7 大久保氏知行地及び公金借入金高(文政5年12月調)
国郡名村 名知行高借入金高利 金
上総国長柄郡大津蔵村498石059 449両30余39両00
金谷村287. 066 230. 20 34. 10
田代村66. 845 
   武射郡富田村187. 942 169.00 19. 10
下総国匝瑳郡高野村59. 199余45. 00 45. 00
小田部村58. 144余
台 村73. 695 
合  計1230石950余894両50余137両20
国立史料館(旧文部省史料館)八田家文書

 
 (9) 『郵政百年のあゆみ』郵政省発行。
 (10) 同右
 (11) 同右
 (12) 『千葉県史、明治編』
 (13) 同右
 (14) 『関東電信電話百年史、中巻』