4 助産婦 4 Midwives

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 助産婦は、産婆と言い、農村の出産には、なくてはならぬ存在であった。明治の半ば頃までは、経験豊かな近隣の老人などが勤める例が多かったが、明治三二年(一八九九)産婆規則が出され、第一条にその資格が次の如く定められた。「産婆試験に合格し、年齢満二〇歳以上の女子にして産婆名簿の登録をうけたる者に非ざれば、産婆の業を営むことを得ず。」となっている。松崎よ志さんの話によると、助産婦という呼び名は、昭和一〇年頃からではなかったかという。戦後、昭和二三年、保健婦、助産婦、看護婦法が出され、「厚生大臣が資格ありと認めた者」で、助産婦国家試験に合格することが必要となった。そして、妊婦は殆んど、産院に入院して出産するので、現在自宅で開業している者はなくなった。次に助産婦の氏名を掲げておく。
 
(助産婦)
地区助産婦名住所生年・歿年免許取得略     歴

宮沢隆子力丸明治三五年生
昭和三三、一一、二三日歿
大正の初年頃大阪・三の宮病院に勤務中昭和三年九月二日より郷里力丸にて開業長柄だけでなく二宮方面にも往診。自転車を利用していた。最も古くより開業功績大
木島栄子道脇寺大正六年 生一九歳で学科合格実地は病院で取得昭和二三年開業。四一年まで自宅で診療する。その後五二年まで、病院にて勤務する。以後、廃業し家庭に在る。

友次ふみ子徳増明治四四・一二・二〇生
昭和四八・一二・二歿
東京赤十字病院にて資格取得昭和二〇年日吉にて開業、同四八年死亡により廃業する。戦後最も出生多き時代に活躍、岩佐病院にも勤め功績大。
松崎よ志鴇谷明治四四、一、二生昭和六年
埼玉県で資格取得
昭和二四年より鴇谷自宅にて開業、昭和二九―三一年はベビーブームで目のまわるような忙しさ。四五歳で自転車を習い往診した。現在も極めて健康である。

川野智江子初芝大正五、四、一四生昭和八、一二月検定合格免許取得後も病院勤務し、昭和二五年郷里に開業、戦後助産婦の営業がむつかしくなったので、現在は小倉産婦人科医院に勤務。

鎗田豊大庭明治四二、三、三生昭和八年五月
資格取得
昭和八年より同五五年まで大庭自宅にて開業、戦前、戦後を通じて、取上げた子供の数は数えきれない。現在も健在である。田代に赤痢発生時には看護婦として活躍。