し尿処理の問題は、都市に於ては、まことに切実な課題として、早くから企画実施されていたが、地方の農村では、さほど重要な問題とはならなかった。その理由を考えると、戦前の農村では、し尿は、堆肥と共に重要不可欠な肥料であった。従って農家では、商家や学校等に喜んでし尿を汲み取りにいったのである。ところが、戦後は、極めて顕著な効力のあるさまざまな化学肥料が登場し、し尿を用いる必要がなくなってきた。そこで、商家だけでなく、農家自体のし尿をどう処理すべきかが重要な課題となってきたのである。
茂原市では、昭和三三年度(一九五八)、工費三〇三七万円で、大芝に、日量一八キロリットルのし尿処理場を建設した。その後、四〇年五月。「茂原外七か町村し尿処理組合」が設立され、長生郡の各町村が共同でし尿処理場を造ることとなり、茂原市大芝のし尿処理場の運営も、本組合に移されることになった。
四一年一〇月、工費九〇三五万円で、長生村藪塚に新にし尿処理場を建設。長柄町負担金は三百万であった。四四年七月、「し尿処理組合」を「長生郡市衛生組合」と改称したが、四六年四月、長生郡市広域市町村圏組合が設立されたので、し尿処理場は、この組合の管轄となった。この時の予算二億九五六八万円で、長柄町負担金は、一三八八万円である。
四九年度組合予算は、六億四六〇〇万円、町負担金三九四九万円に増している。
この広城市町村圏組合は、総務課、消防本部、、環境衛生課、農業者研修センター、水道部から成っているが、し尿処理は、環境衛生課の所管である。現在のし尿処理場は、大芝と藪塚の二か所であるが、これだけで各市町村のし尿処理をするには万全とはいえず、今後の問題となっている。