施設やクラブの概要について、同本社から出された広報に’その全貌が表に示されている。これによると、コース面積は二三一万m2(七〇万坪)という広大なもので、資本金一千万円、正会員数は七五三八名を数えている。ゴルフ場の生命ともいうべきコースの特長については、次のように述べている。
「五コースに分かれているが、自然の地形を巧みに生かした典型的な丘陵コースで、第一打打ち下ろしや、第二打打上げのホールを主体にドッグレッグや池越えのホールを適度に織り込んだコース構成になっている。フェアウエイは、比較的広いが、一方のサイドに崖がのぞいているなどメンタルな面もみられ、正確なショットが要求される。グリーンは二段グリーンを始めとして、くせのあるグリーンが比較的多い。」
ところで、このゴルフという遊びは、その発祥は古く、イギリスのスコットランド地方という説があるが(『平凡社、世界大百科辞典』)日本に入ったのは、明治三四年(一九〇一)、イギリスの茶商アーサーグルームが、友人数人と神戸六甲山にゴルフコースを造ったのが最初で、アメリカに遅れること僅か一四年であったと言う。その後、上流社会や金持の遊びと思われ、一般庶民には、縁のないものと思われていた。それでも、昭和一四年には、全国で七四クラブになったが、戦争によって一時中断、戦後は、昭和三五年頃から好景気の波に乗り、一般庶民のスポーツと考えられるようになり、コースも全国で数百を数えるようになっている。
このゴルフコースの開設によって、長柄町の主婦は、キャデーとして働くことが出来るようになり、大きな利益をうけている。またこのコースの西側には、長柄ダムの建設が急ピッチで進められているので、これが完成の暁には、長柄ダム周辺のレジャー施設の中心として、更に発展してゆくものと思われる。
(初期のゴルフ風景)