二 私設消防 2 Privately managed firefighting

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 徳川幕府が瓦解し明治新政府が生れた。国民の文化的生活が発達するとともに消防機関も飛躍的に発達するようになった。明治一三年(一八八〇)六月一日、内務省警視局に消防本部が発足、江戸時代のいろは組も改組され、消防班が置かれた。また、同一三年外国の消防制度が輸入されるにいたり、ポンプという近代機械が外国から取入れられるようになった。そして消防の管理は、同局のもとにおいて、全国各県においては、知事と警察部長の統率下におかれたのである。
 明治二七年(一八九四)勅令が公布され、これにより、本県にも、消防組規則がつくられた。そして、同年五月には、次のように消防組が創設された。消防組数四一、部、四八、組員五八〇四名。
 郷土長柄郡下では、茂原警察署管内で、茂原、帆丘(本納)の二消防組と、一宮分署、庁南分署の消防組であった。
 
長柄郡茂原警察署管内
 茂原消防組 一組 二部  一八八名

 帆丘消防組 一組 五部  二二一名
(本納)
長柄郡茂原警察署一宮分署

 一宮消防組 一組 三部  一五七名
同郡茂原警察署庁南分署

 庁南消防組 一組 二部 八五名