三 公設消防 3 Publicly managed firefighting

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 大正三年(一九一四)になり始めて公設消防制度ができた。組頭、小頭、部長という役員が選任され、村単位の組織を持つ現在の消防機構の原型が生れ、組頭には村長が多く兼務した。この組織は、昭和一四年三月警防団ができるまでつづいた。
 日吉村消防組では、明治四四年一二月二〇日非常連を統一して改めて六群制の公設消防組が設置され、昭和三年三月二九日本部及救護班を新設、役員以下総員二八三名に改めた。
  歴代組頭左の如し
 鹿間久米造   加藤金兵衛   加藤源左衛門   仲村玄造   加藤金兵衛   高橋万治   前田義造   鹿間惣次郎   尾高久七(以上初代から九代まで村長兼務)。
 増田義朗   山越信司   加藤源良夫。

 水上では昭和八年(一九三三)一月、「公設消防設置申請書」を、区長及消防団長から、村会議員の同意書を添えて、村長倉田善三郎に提出し、同年二月二四日受理されている。その中の趣意書をみると、「吾水上村ノ現状ヲ観察スルニ器具機械ノ整備組員ノ訓練等ハ公設消防ト敢テ遜色ナキ程度ニ進捗シ、単に組織ノ点ニ於テ未ダ旧套ヲ脱セズ、依然明治初年ノ夫レト敢テ択ム所ナキハ実ニ遺憾トスル所ナリ」と述べられているので、当時の状況が、推測されよう。こうして出来た組織も、昭和一二年、日支事変と共に改組を迫られるのである。
 三村とも本部を役場内におき、支部を各部落においてそれぞれ消防置場を建設し、近くに火の見櫓や貯水池を備へ、活動したのであった。