統合後の消防団

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町村合併によって発足した新市町村は夫々鋭意消防勢力の充実につとめた。本町においても同様で消防機械、器具の整備については新町建設計画の定めるところにしたがい着実な前進につとめた。特に消防ポンプは、可搬式動力ポンプを全分団に保有させることとし、地域の均衡をはかり、毎年各支団に一台ずつ購入することとした。町は消防ポンプ購入経費一台につき三〇万円を負担し、残余の金額は分団が負担するというように負担区分を明らかにしたのである。その他消防貯水池の整備、ホース乾燥塔の設置、消防器具の整備についても補助金交付規則により均衡と調和のとれた事業の推進につとめた。このようなことにより消防が漸次機械化されることを考慮し消防団員数の適正化が論議されるようになり財政力を考慮し人員の削減計画を樹てるようになった。まず昭和三一年(一九五六)九月一日第一支団の第二分団と第三分団の統合を断行した。第一支団の第二分団(千代丸)第三分団(山根、飯尾、別所、大加場)は隣接の部落で日常生活も緊密であるので統合計画をすすめたわけだがこれは円満裡に統合が完結した。こえて昭和三二年四月一日新町一体化の確保のため旧村単位の支団制を廃止することに決定した。支団制廃止後の消防勢力は、本部及び二五分団五五〇人となり、減じた団員数は一九五人である。更に昭和三八年団員数を二五〇人と改めたのである。二五分団の分団数は変更しなかった。この体勢は、広域消防体勢に移行するまでつづくのであるが、昭和三〇年代中期からわが国経済は、所得倍増政策が高度経済成長へと好転し、このため住民の就業構造に大きな変化が生じ、農村地域の人口は次第に都市へ流れる過疎化現象が生じるようになった。この現象は、消防団の活動にも大きな支障をきたす要因となったのである。すなわち昼間は消防の任にあたる者が出稼に出て在町せず万一の場合は、留守をあづかる消防人でない者がその任につくという状態になってしまったのである。このような要因が後の広域消防を生れさせることになるのである。昭和四二年四月手薄な昼間消防力を補うため自主的に生れたのが大庭の婦人消防隊である。大庭の婦人消防隊は隊長以下三五名であり、これを生み育てたのは横田栄次郎である。消防団長は、団の推せんによって町長が任命することになっているが、長柄町消防団発足以来の歴代消防団長は、つぎのとおりである。
 
一代 風戸栄一昭和三〇、九、一六就任五代 小宮一夫昭和三八、四、 一・・
二代 阿部義司昭和三二、四、 一 〃 六代 前田元徳昭和四二、四、 一 〃 
三代 加藤喜之昭和三四、四、 一 〃 七代 野中義男昭和四五、四、 一 〃 
四代 木島種臣昭和三五、四、 一 〃 八代 遠藤儀方昭和四七、四、 一 〃