七 町消防団の活動と表彰 7 Activities & awards of local firefighters

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 長柄町消防団は発足以来、幹部、団員一致協力克く消防法規を遵守し、規律訓練、消防技術の練磨向上に努め延いて自治の育成に偉大なる功献を尽し名声赫々たり依って左の如く幾度か表彰の恩典に浴している。
 
受賞年月日種   別
昭和三十三和三月十五日千葉県知事優良竿頭綬
 〃 四十一年三月十一日千葉県優良消防旗
 〃 四十三年三月 七日日本消防協会長竿頭綬
 〃 四十五年三月廿八日千葉県知事優秀表彰旗

 
 長柄町関係の消防の活動について昭和十年七月発行、『大日本消防発達史』所載により引用する。
 
   日吉村消防組 明治四十四年十二月二十日非常連を統一して改めて六部制の公設消防組が設置され、昭和三年三月二十九日本部及救護班を新設し役員以下総員二八三名に改めたのである。
   初代組頭鹿間久米造氏より現組頭山越信司迄十一代の歴代組頭一村皆消防の伝統を以て消防の改善、警火思想の普及に力め、殊に前組頭増田義朗氏は少年消防隊及び女子消防隊の新設、消防智識の普及に竭して功労あり、消防精神の向上と施設の改善は其の最も意を用ひし所で、貯水池一七、個人貯水池五〇六、同上井戸四六五を算し、同村は挙つて消防に熱心なる他に其の比を見ざる所である。
   甲種金馬簾四条及び乙種金馬簾一条の使用允許は消防組の栄誉であるが、少年消防隊及び女子消防隊共に県知事より表彰せられ、千葉県下のみならず全国に其の範たるは又名誉と云ふべきである。
 
 日吉少年消防隊及日吉女子消防隊の主要検閲演習及び視察団歓迎演習は毎年のように行われていたが、記録によれば他県よりの見学も多く、次の如くであった
 昭和四年八月十日 岩手県消防視察団歓迎演習。昭和四年一一月一三日 埼玉県消防見学団歓迎演習。昭和六年二月二二日 福島県視察団歓迎演習。昭和六年四月一五日 秋田県視察団歓迎演習。昭和六年一〇月十二日 栃木県視察団歓迎演習。昭和八年六月四日 群馬県視察団歓迎演習。
 また昭和四十三年十二月三日発行の『千葉県消防史』には次の如く記されている。
 
   少年消防隊は多く一小学校を単位として生まれ、児童に消防観念を鼓舞して警火その他の悪習を防止し、児童を通じて家庭の警火思想を徹底せしめ、一面団体的活動の観念と、公徳義侠の精神涵養を図り、場合にっては第一先に立つものとして、訓練せられし少年消防隊の活動は、極めて効果的であり、東京府を初め静岡埼玉新潟等各県下に於て相当の成績を挙げ好評を博して居るが其の最も発達し居るは千葉県であって、日吉少年消防隊の如きは以て範となすべく県知事より表彰されて居る。
   婦人消防隊はまた婦人消防組とも呼ばれ、消防規則に従へば消防組員は男子でなければならないのであるが、男子の不在勝な所では婦人を以て組織された。千葉県日吉女子消防隊の如く、避難者の救護及び誘導、消防組員の焚出飛火の警戒警火思想思想の宣伝をなし、必要に応じては第一線に立つとのことである。
   他県を凌駕した少年消防隊正規の消防組に附随して、当時千葉県に於ける少年消防隊は其の数に於て、内容において、他府県に比し一等群を抜き、始祖を日吉少年消防隊とし大正十五年十二月十五日創立で県下各地に次々と設置を見たのである。
 
 また昭和七年四月二〇日発行の「千葉県消防新聞」所載の「日吉消防組金馬簾祝賀演習=三条祝賀に少年消防隊表彰式並に公設満二十週年記念演習」の題した一文はよく熱心な活動を描いている。
 
   長生郡日吉村消防組金馬簾三条使用允許及少年消防隊表彰披露式並に公設満二十週年記念演習は昭和七年四月八日午前八時五十分から同村小学校庭に於て挙行され、此日県からは三橋巡査部長(警察部長代理)又茂原署からは長谷部警部補検閲官として臨場、消防組及び少年、女子消防隊は役場前に整列して之を出迎へ、部隊、検閲官の入場に次で国旗掲揚、国歌合唱、組頭の式辞あり三橋部長代理官厳そかな金馬簾允許式を行ひ、次で通常点検の後、引続き喞筒操法、喇叺演習、分列式、部隊教練、行進等を行ふ筈であったが夜来の降雨の為め校庭は泥海の如くなり加へて雨さへ益々強く降り出したので遺憾ながら之を見合せ、表彰式は室内に移し、消防組始め少年女子消防隊其他協賛会員八百余名列席、赤十字少年団歌女子青年団歌・合唱・消防宣言朗読の後表彰式を挙げ、少年消防隊及消防組員に県並に聯合会よりの表彰状を授与し、尚増田組頭より歴代の組頭及び顧問に感謝状並に記念品を贈呈し、長谷部検閲官の訓示講評警察部長の告辞、来賓内山生浜組頭、杉浦本納組頭、西村副組頭、白井豊田組頭の祝辞あり記者又一場の祝辞を呈し、消防時代社長中村一六、市原大原組頭、小池、椎名、久保田元茂原署長其他の祝電、祝文を披露し、受賞者総代及増田組頭の答辞あり少年・女子両消防隊の火防宣伝歌合唱、金馬簾退場にて式を終りたるが、此時より雨は漸く晴れたので宴会及敬老会を校庭に移し協賛会長及来賓惣代の挨拶あり、余興の桟敷舞台には消防組を始め、少年・女子の消防隊員の日吉音頭、八木節、剣舞、喜劇其の他の郷土芸術の発表あり、満庭の桜花今や将に蕾を破らんとする下に一村殆んど総出にて処女会の手料理に正宗を抜き心からの喜びをつくし散会したのは午後五時頃であった。当日日吉村では煙火を打揚げ夜は消防義会の火防宣伝の活動があり、非常の盛況を極めたが生憎当日は雨の為に予定の計画を遂行する事の出来なかったのは遺憾であった。表彰者は左の如く、此の日大網組幹部及管内消防組多数の見学があり一としほの気勢を添へた。
▽ 県表彰    功労章副組頭山越信司
         賞状救護班長加帳源良夫
▽ 聯合会表彰  六部長前田義輝外十一名
▽ 署長表彰   少年消防隊長高橋敬三、同副隊長篠田彦兵衛、同風戸準三郎、同救護班長伊藤寛、女子消防隊長増田うめ、同副隊長青木秀子、同救護班長弓削喜美江
▽ 組表彰    村長仲村玄造、顧問小倉義男、元組頭鹿間久米造、同前田義造、同高橋万治、同鹿間惣次郎

 

金馬簾三条使用允許記念(日吉消防)

 この伝統をもつ婦人消防隊については昭和四五年一月一三日発行の「東京毎日新聞」所載には次のような記事がある。
 
  出初式ばやりだが、長生郡長柄町でこのほど行はれた出ぞめ式に、同町大庭地区の婦人消防隊が参加、色どりを添えた。この大庭婦人防火組合は二年前「主人達の出かせぎの留守は私たちにまかせといて」と横田美代子(四五)=組合長=らが中心となり結成した。組合員は二十五人、日ごろの訓練にものをいはせて、ポンプ操法にあざやかな腕前を〝オレ達よりも確かなもんだ〟と見物のご主人達からヤンヤの拍手を浴びていた。
 おわりに、当時、消防活動のもっとも盛んであった昭和初年の「火防宣伝歌」をかかげておく。行進しながら、団員や隊員の合唱したものである。
    消防のうた
  人は暑さにやすめども    人は寒(さむ)さにねむれども
  重(おも)きつとめのある身には   おもいは常にやすからず
  折りしもひびくかねのおと  人の為めなり世のために
  命(いのち)ささぐる時は来ぬ   いざ疾(と)く往かん火の元に
  紅蓮(ぐれん)のほのお空(そら)をやき  強風(きょうふう)けむりを吹きすさみ
  修羅(シゅら)の巷(ちまた)も何んのその  我(わ)れに鍛(き)たへる力あり
  忽(たちま)ち火の神打ちしづめ  かちどきあげて引きあげる
  我がともがらの雄(お)々しさよ
  入りては家業に精励(せいれい)し  出でては規律に服従し
  そも世の人の休戚(せき)は  我が双肩(そうけん)にかかりける
  いでや唱(とな)へん消防の  万歳(ばんざい)、万歳、万々歳(ばんばんざい)!
                   終