千葉県巡査山口久司氏は、弘化四年(一八四七)八月現在の千葉県長生郡一宮町字宮原に生れた。明治十七年三月千葉県巡査を拝命して茂原警察署に勤務したが性廉直で堅忍不抜の気慨のある人であった。
たまたま明治二〇年三月二四日の夜、長南町字長南の某家に四人組の強盗が侵入し、財貨を強奪して逃走した事件が発生した。急報により之が逮捕の命を受けた氏は、急遽之を追跡して山根内畑地先の飲屋で泥靴をぬいでしきりに酒を飲んでいる者を発見した。氏はこの者たちの挙動をうかがった処、果して不審の点があったので直ちに本署に人を馳せて応援を求めた処、ちょうどよい具合に同僚の谷幡文八郎巡査が来合せ、かつ附近の人々も来援したので、直ちに飲屋に入って之を逮捕しようとした刹那、その党類と思われる人が奥より出て来たが、つづいて一人又二人ついに四人となり、衆を恃み相呼応して氏等に向い之を傍の崖下に陥れようとせまり、まず谷幡巡査を数尋の谷底に投げこんでしまった。山口巡査は一人で奮闘し漸く一人を組み伏せ将に縄をかけようとした刹那、賊の一人が山口巡査の背に廻り短刀でつきさした。同時に兇漢等は大声をあげ威勢をしめしたのでこのとき応援に来ていた村民は吾先にと逃げだしてしまった。重傷の氏は少しも屈せず、益々勇を鼓して大いに奮闘したが遂に十数ケ所の重傷を負い、血達磨のようになり、身体の自由を失うにいたった。兇漢等は之を見て遂に逃走した。しばらくして同僚が漸く来援したが、氏は気息奄々として兇漢の頭髪数本を握っていたが同僚に対し、兇漢の逃走方向を示して遂に殉職した。行年四十歳であった。氏の殉難碑は山根字川向一五六四ノ一地先の小高い丘の上に在る。