大正一三年三月一五日、六地蔵長沢八重松外十七戸廿数軒。同日正午頃長沢家から失火、折りからの西風にあおられ火の子は遠くまで飛び散り点々と火が付き忽ち全部落火の海と化した。六地蔵は地理的に水利の便悪しく隣村より駈けつけた数多くの消防隊も消火の方法なく、天台宗の名刹西福寺本堂並に附属建物全部、最も風下にあたる由緒ある六地蔵本堂を始め江戸時代からの六地蔵駅の有名なる旅館柳屋、住吉屋、亀屋と共に街道に隣接せる旧家、大家、高楼等悉く烏有に帰し昔を偲ぶ江戸街道の継ぎ場の面影は一瞬にして失われて仕舞ひ火災のおそろしさに慄然たらしめた。