また同日午後五時四十五分ごろ、千代丸一、九九〇無職林さくさん(六四歳)方の裏山がくづれ、林さんが生埋めになり、死体となって発見された。この七月一日午前十時から午後四時に至る本町の降雨量は二〇七mmを記録した未曽有の豪雨に因り住家全壊六戸、半壊又は一部破損一四戸、非住家全壊八、半壊一四。道路決壊五六ケ所、橋梁損壊一ケ所、堤防の損壊一ケ所。耕地の流失、埋没、田一、三一〇ha、同畑一三三ha等で損害金額六千二百四十七万五千円に達し其の他を合せて被害総額一億二千百十万円を算した。
山根の山崩れ(昭45.7.1)
依って本町は長柄町災害対策本部を役場内に設置し、諸般の調査、救援に従事し、翌二日午後一時から緊急全員協議会を開催し、災害特別委員会を設置し、鶴岡九皐、川嶋美董、友次卓治、柴崎明、鶴岡嘉之、横山豊比古、山本俊男、鎗田寿(順不同)の八名が特別委員に選ばれ、岡本郁朗町長指揮のもとに七月二日から三日の両日にかけ床上、床下に浸水のあった全住家について消毒班による消毒作業を実施するとともに、汚水の入った井戸に対しても消毒薬の投入を行ない、又殺菌整腸保健薬を配布し伝染病発生の防止を始め諸般の善後処置に万全を期した。
逸早く、現地被害状況視察、見舞として千葉県知事友納武人、衆議院議員千葉三郎、参議院議員木島義夫(以上敬称略)其の他多数の名士の来臨を賜はり、災害見舞金として百八十六万五千円(外物資)を頂き、被害者に物資と共にそれぞれ配分した。因みに、岡本町長は、同年春、重病の為め入院手術に依る小康状態の身を挺して此の度の災害に奮然出動、陣頭指揮に当り、友納知事を始めとする名士の接待等に連日東奔西走遂に病床の身となり、七月二十八日七十歳を一期に任期半ばにして生涯を閉じた、真に職に殉じたと謂ふべきである。生前の功績に依り勲六等単光旭日章に叙勲され、本町としては鶴岡仁一助役葬儀委員長となり、八月五日昭栄中学校体育館で朝野の来賓と町民、各種団体代表等館内にあふるる盛大且つ厳粛なる町葬の儀が執り行はれ、ご冥福をお祈りした。(この項町報六一号及び毎日新聞による)