三 郷土に電灯ともる 3 Electricity lights up the town

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 郷土に電灯がともるようになったのは、大正の末から昭和の初めである。しかし、東京で電灯が実用化に入ったのは、東京電灯会社の第二電灯局(発電所)が竣工した明治二〇年(一八八七)頃で、(10)それから四〇年近くたっている。その理由を考えてみると、電灯は、ランプと異なり発電や送電のため、布設にはいろいろな施設を必要とする。それ故、ランプが、裕福な家庭でいち早く使用され、次第に一般家庭に普及していったのに対し、電灯は、ある時期、ある地域を集団的に敷設してゆく形をとらざるを得なかった。それには、地域住民の共通理解や経済事情が重要な鍵となるのである。
 長柄町で、最初に電灯がついたのは、旧日吉村である。大正四年(一九一五)六月、茂原町に帝国電灯の子会社として茂原電灯会社が造られ、火力発電による営業を始めた。翌七年に大原電灯と合併、社名を帝国電灯株式会社茂原営業所と改めた。
 その時、配電区域が茂原から長南まで広がり、送電路線が完成したので、この機会に、日吉村でも電灯を敷設しようという計画が進められた。中心になったのは、医師小倉義男(針ケ谷)、元村長鹿間久米造(桜谷)特志家尾高久七(榎本)等で、村長鹿間惣次郎外五〇余名の有志としばしば会合を重ね、日吉村電灯需要者組合を結成、帝国電灯株式会社茂原営業所と交渉を重ねた結果、大正一一年(一九二二)七月八日、上茂原より岩川経由支線による敷設の計画が認められ、三千円の補償金を納めて契約が成立したので覚書を取かわした。ところが、たまたま、大正一二年九月一日の関東大震災に遭い、物資は不足し物価は高騰、その上、灯数も当初より減少し、各種の支障があって工事はおくれたものの、大正一四年(一九二五)四月一五日、首尾よく点灯を見たのである。
 この日、日吉小学校々庭で盛大な落成祝賀式を行った。来賓として長生郡長、警察署長など多数に上り、村民一同喜びを分ち合った。式の冒頭、日吉線電灯需要組合長小倉義男は、次の如き事業報告を行ったが布設の苦心がよく表われている。
 
 日吉線電灯布設事業報告書
一、大正一二年二月二八日、日吉、岩川聯合シテ電灯布設事業ヲ計画スルニ当リ、申込灯数ニ於テ、五六二、内岩川区六〇、日吉五〇二、工事補償金参千円提供ノ事ヲ約シタリ。右ハ鉄線設計ニ出タル算出ニシテ、同年三月三一日高圧線ニ付、工事設計鋼線ノ為メ補償金三百円ノ増額ヲ本社ヨリ申シ来レリ。然ルニ、大正一二年九月一日ノ震災ニ遭遇シ復興事業ノ為メ物価労銀ハ俄然暴騰ヲ極メ、経済界ハ変潮ヲ来セル結果、補償金五千円、一灯率八円九〇銭但シ取付料一灯五〇銭ハ別途トシ更正ノ旨申シ来レリ。委員会ノ決議ニ基キ趨勢上止ムヲ得ザルモノト認メ承諾セリ。然ルニ中途、岩川五灯増、日吉四〇灯減ノ違等ヲ生ジ差引三七灯減ニ対シ、三二七円五〇銭ノ補償金ヲ向フ二ケ年間集金料千分ノ二〇トシ、之レヨリ換算シテ解決ヲ了シタリ。イヨイヨ工事ニ着手スルヤ、設計図ニ鴇谷ノ一部加ハラズ、従ツテ布設料金ハ増額ノ止ムナキニ至リ妥協ノ結果、更ニ、二五灯ヲ増シ、之ガ榎本三、小榎本一、徳増三、桜谷三、長富一、立鳥三、鴇谷四、針ケ谷七。
一、大正一四年四月一日、祝賀式挙行ノ件ニ付キ、日吉小学校ニ委員会ヲ招集シタリ、祝賀費予算一五六円ヲ計上シ、分賦額左ノ如ク定ム。
 (一) 金二〇円岩川区負担、金一三六円日吉村負担、
 (二) 特別寄附者、五〇円、村長鹿間惣次郎、五〇円、助役仲村惣平、右ハ役場、学校駐在所ノ布設費ニ寄附。
一、役員氏名   五五名(略)
  右報告ス。
   大正一四年四月一五日
         日吉線電灯需要組合長 小倉義男

 
 
表1 旧日吉・電灯布設時の戸数(大正14年4月)
一戸灯数
部落名
229754321
針ケ谷116235687
立 鳥2102537
鴇 谷13262335
長 富121518
桜 谷11141522
徳 増64248
小榎本13711
榎 本12212347
111241575206305
割 合3.04.924.667.5100
(総戸数456戸の67%布設)

 
 当時の「電灯布設寄附者芳名簿」によって布設状況や経費をみると、布説戸数は、三〇五戸(神社等も含む)で、総戸数四五六戸の約六七%、一戸の灯数は、一灯が六七%、二灯が二四・六%、三灯以上は僅かで八%弱、二二灯というのは小倉医院。費用をみると負担金は一灯につき五円を出し、寄附金は、家庭に応じて支出しているが、その集計は表の通りで、大きな負担であったことが伺えよう。
 
表2 電灯敷設費用(祝賀会費も含む)
 
部落
負担金寄附金祝賀費煙火費合 計
針ケ谷445.00697.2045.10108.001,595.30
立 鳥255.00227.4020.008.00510.40
鴇 谷270.00225.6021.5013.00530.10
長 富110.0085.809.0018.00222.80
桜 谷180.00152.6016.3017.80376.70
徳 増265.00272.8022.0013.00572.80
榎 本75.0058.505.002.50141.00
小榎本380.00309.2022.0010.00721.00
2,290.002,029.10160.90190.304,670.30
(増田安徳家蔵文書)

 
 その後、引続いて水上村が敷設を開始したが一部分で、高山などは昭和二八年に敷設を完了したし、長柄村は、昭和四年開始したものの、全家庭に行亘ったのは、昭和五〇年代の最近のことであった。