長柄町の水道は、茂原市の経営する上水道と三井東圧茂原工場が市原市奈良地先から取水している工業用水の一部(日、三〇立方米)を分水し、簡易水道として町で経営する、東上水道(上野、山之郷東部の地域)の二つの系統で各戸に給水されている。
さて、本町の地勢は、台地帯と平坦地帯の二つに分れているが、この両地域とも昔から生活用水は、立井戸、又は横井戸の水を使用していた。平坦地帯は水田地帯であるので比較的水には恵まれていたが、台地帯で、夏季雨量の少ないときなどは飲料水を欠く世帯が多く、日常生活に大変苦労が多かったのである。
なかでも、追分、皿木、道脇寺、山之郷、の各部落は、立地条件が特に悪かったので、これらの部落の人々は、日常生活において水を自由に、十分に使用したいということが悲願であった。
昭和一六年(一九四一)一二月大平洋戦争が勃発した。緒戦は吾が方が優勢であったが戦勢日に日に吾に不利となってきた。その昭和一八年本土防衛のため茂原町の隣接東郷村に海軍飛行場が建設された。同時にこの飛行場に飲料水を供給する水道が必要となったため、当時の長柄村山之郷、六地蔵地先に水源を求める軍用の水道施設が完工した。
昭和二〇年(一九四五)八月一五日、吾が国はポツダム宣言を受諾し、長い暗い戦争が終った。そのため、茂原海軍飛行場は解体され一切大蔵省の管理する国有財産となった。すると茂原町は、昭和二一年一月旧海軍水道施設の一切を国から借り受けて施設を整備拡充し茂原市街地に水道を布設、水道経営を開始することになった。これが、茂原市上水道の初めである。