有線放送電話の元祖は、千葉県だと言われ、その施設数は、常に全国の上位を占めるほど発達している。そこで、本県の有線放送の生い立ちを調べてみよう。
昭和一九年(一九四四)、大平洋戦争たけなわの頃、君津郡上総町川俣(旧亀山村川俣)の山村に有線放送施設が設けられた。当時、その地区には、無電灯部落が多く、ラヂオの情報も聞けなかった。そこで、附近のラヂオ所有者と相談の上、ラヂオのスピーカー回線から線をのばし、スピーカーだけを対空監視所へもっていって、ラヂオを聞くようにした。ところがこの人達は、この二本の線を使って相手と話しができたらどんなに便利だろうと考え、工夫したのが、インターホン方式による通話であった。ラヂオが聞こえ、しかも話しができるというので評判になり、忽ち亀山村全域に広がったのである。このことをきいた上総町広岡の消防団長は、この施設を見学し、消防施設に利用することを考え、村へ帰って村内の一技師に研究と改良を命じた。村費は勿論、私財まで投じて研究した結果、昭和二六年、かつてない加入者間同時連絡可能方式の通話が生み出されたのである。その後、有線の便利さが認められ、昭和三一年(一九五六)頃から、創設の際、農林省の新農山村建設綜合対策及び自治省の新町村建設促進法に基づく国の資金援助がなされた結果、個人負担も少なく維持費が少なくてすむことから、県内に急速に普及されていったのである。昭和四一年末の状況をみると、公社電話加入台数一五四、一七九台に対し、有線電話も一五〇、六五一台とほぼ同数になっている。(『関東電信電話百年史』による)