2 本町の有線放送の発展

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 本町でこの施設をとり入れたのは、長生郡内では最も早く、その整備の状況は、次のようになっている。
 昭和二九年(一九五四)旧日吉村がこの事業を取入れ、役場内に放送所をおき、日吉有線放送協会を設立した。勿論郡内最初の有線施設で、当時としては画期的な事業で脚光をあびたのである。
 昭和三〇年(一九五五)長柄町が誕生した。同三一年には二つの有線放送協会が生まれた。一つは、水上地区に有線施設工事を行い、日吉と統合して、長柄町有線放送協会と名づけた。今一つは、長柄農協が中心となり、農協内に放送所を設け、長柄町第一有線放送協会と名づけた。同三三年、長柄町有線放送協会(日吉・水上地区)は、施設を町に移管、町営とし、放送所を日吉出張所内に移転した。同三五年、長柄第一有線放送協会は、施設を町に移管し、放送所は、そのまま長柄農協内におく。同三八年、庁舎の完成とともに各出張所を廃したので、二か所にあった放送所を庁舎内に統合した。
 同四〇年、放送施設以来十年余りを経過したので、テレフオン式から効率のよいダイヤル式の自動化施設に切替える計画をたてた。
 同四一年、部落座談会等により世論調査の結果、多数賛成を得たので、有線放送建設委員会(一二名)を組織し、更に具体的な調査研究を進めた。その結果、加入者から一戸一万五千円の申込負担金を徴収、関東電波管理局に設備変更を届出、「日本電気株式会社」を工事施工者に決定し、一二月一日起工式を行った。経費概要は次の通りであった。
工事総額  六三五四万六千円
財源内訳  加入者負担 二二七七万円(一戸一万五千円)  地方債 二五〇〇万円  繰入金 一三二九万円  その他 二四八万二千円

 工事で最も問題のあったのは、電柱を立てることであった。電柱の数は全部で三二六二本、うちコンクリート九六七本、クレオソート注入電柱二二九五本、電線の総延長は一九万米に及んだ。土地所有者と部落会長立会いのもとに幹線から工事を進め、同四三年(一九六八)六月一日、工事完成、試験放送を開始した。「工事日誌」の一部をのぞくと、次のごとく記されている。
 
  「六月一一日、放送通話を開始したが、回線違いで、放送が入らぬ回線あり、ベルが小さい。保安器ヒューズ断線、テレコ逆。六月一二日、本部交換機動作不良。LFの起動線アース障害、電話機リードセレクターの動作不良、外線分岐スリーブの圧着不良。電話機の配布違いによる番号違い。六月二五日、この頃より加入者からの苦情がなくなった。」
 
 こうして試験放送は七月三一日で完了した。各部落の加入者数と回線数は、上の通りである。尚、維持費は、昭和三〇年一六万円だったが昭和四六年には二千万円をこえている。
 
部落名回線数加入戸数部落名回線数加入戸数
力 丸三三桜 谷五三
千代丸二三長 富一九
山 根二八鴇 東三九
飯 尾一二鴇 西五六
別 所一五立 鳥五七
大加場針 東四八
国府里四五針 西六〇
下味庄四二高 山三六
上味庄三〇大 庭四三
船 木二七不 動一七
八反目一二日の宮二四
中野台長 柳二四
上 野三二田 代一九
東 部三九月 川四九
西 山三九辺 田四四
西 部五四三 沢二二
道脇寺四六篠 網四〇
六地蔵三四稲 塚二八
長柄山六八吹 谷二〇
追 分三四金 谷三五
皿 木三五農 協
榎 本四二官庁並テスト用一四
小榎本一三
徳 増七二合 計二〇〇一、五三一